金曜日, 11月 16, 2018

二一天作五

半紙に、人間萬事 二一天作五、と細筆で書いてある。

それには、なぜか赤いインクで、ゴム印と思われる字体で、故人の姓名が押してあった。

それは、なぜか戦後すぐの葬儀の親族の集合写真と家の外に並んだ広告塔のような樒(しきみ)の写真と共に写真館の台紙に挟まっていた。

う~ん。

にんげんばんじ の次ぎは、何と読むのだろうか?中国語?日本語?どういう意味だ?人間万事塞翁が馬のような意味なのだろうか?21日で5を作る?イミフすぎる。いやいや、天国に行きたかったらトイチじゃなくて、ニイチで献金でもしろ!という意味だろうか?では、5って何だ?

お手上げだ。

これはゴム印の姓名の故人の辞世の句のようなものなのか?これを書いたのは、その故人なのか?はたまた遺族なのか?私の目からは美形で粋に見えるが、悪く言う(というか言われた)人間も多いらしい残された後妻さんが書いたのか?はたまた故人の友人が後日持ってきたとか?

永遠に謎。

ネットで検索してみると、「にぃいちてんさく の ご」と読むようだ。割り算の九九の二の段。

10÷2=5 で、5はソロバンの上段の珠をはじく。

世間とは、決まりきったお題目。ナンセンスなもんやねんで。
世間とは、そろばん勘定やで。
世間には、半分ぐらいは持っていかれるんやで。

何が言いたかったんだろうか?

商店名が入っている新築祝いの「パチパチはん(そろばん)」も出てきたなあ。

天然のマグロのサクは、21時前に5割引きになるで、それを買うのが始末でええんや!それが世の中や!ソロバン勘定や!と私は解釈することにしよう。

正解も宝も秘密も、せっせと天に積まねばなるまいから。


日曜日, 11月 04, 2018

映えの横道


海岸に行っても、人は鳥居とか夫婦岩とか、そういうモニュメント的なものと、海と空と、あるいは、それらに加えて自らがフォトジェニックに見えるような画像を撮って満足しがちだ。

客観的に人を眺めていると、本当にそんな感じだ。

潮の干満によって、潮のひいた干潟だったり海中に鳥居があれば、鳥居を中心にした画角で画像を撮る人がほとんどだ。
鳥居があるところにしか人は行かないと言っても、過言ではないかも。

私は冒険家じゃないし、体力に自身もないし、断崖絶壁には行けないけれど、海岸に行ったら波打ち際は見てみたいし、浜の生物も探してみたい衝動に駆られるから、干潟だって石コロの上を選んで歩いて、浜辺を海に向かっていく。

干潟は面白い。

とりあえず、赤い鳥居をくぐって、その先の干潟も歩く。

人や道路から遠ざかっていくと、潮の引いた干潟には打ち寄せる波がないから、波音がないから、とても静か。干潟の生き物が「ピチャ」っと飛び跳ねたような音だけが聞こえる。干潟の海水だまりを覗き込んでみると、ヤドカリがいたり、私が近づいてきたことで、素早く泥の中に身を隠した生き物が作ったのかな?泥の表面に穴があったり。

「ピチャ」

音がした時に、キョロキョロ探しても、たぶん手遅れ。泥の中に身を隠した生き物の姿を目視で捕捉することはできないんだろうなあ。泥の中の穴に指をつっこんだり、足で蹴ってまで、生き物の正体を探り出すのはかわいそうだし、きっと、私の足が泥にとられて靴が泥まみれになったり、石に躓いて、転倒して、痛い目にあうだけかも。

そう思いながら、貝殻まみれの石の上を選んでいたら、バランスを崩して、その下の泥を踏んでしまい、靴の底にいっぱい泥がついた。泥の少ない鳥居の下まで歩いていって、水たまりで靴底の泥を洗った。

一見平坦そうでも、石コロゴロゴロで泥もある干潟を歩くのは大変だ。

電柱が海まで続いていて、トラックが停まっている桟橋のような道を歩いて、その先の海を見てみる方が楽そうだし、簡単に海に近づけそうだ。誰も人がいないけど、絶対にそっちの方が海の本質に迫れそうだ。

その道は、歩き易くて、少し先に鏡のような海と空の境目が見えて、穏やかだった。

もうちょっと先を歩くと、鏡のような海から干潟に向けて、潮が少しづつ少しづづ溢れてぶつかる場所があって、打ち寄せる波じゃなくて、ヒタヒタと格子柄になる潮の模様ができていた。昨日ネットで調べたら、今日は若潮だったし、まさしく、若潮が生まれている。(若潮って、そういう意味じゃないのかもしれないけれど。)

小川のせせらぎような音を奏でる海の潮。

その向こう側の鏡のような海には、漁をしていそうなボートが浮かんでいた。
そのもう一つ向こう側には、海苔養殖の杭のようなものが並んでいた。
そのもう一つ向こう側には、淡いクリームのようなピンク色のような海と空の境目があって、風がなくて、空は青く雲は白かった。

そういう映えの横道の終わりと海の始まりと空の広がり。

そういうのは、気象条件と月の引力によって、その時だけのものなのか、その場所ではありふれたルーティーンなのか、わからないけれど、とっても魅惑的な絵で上品な音だった。







木曜日, 11月 01, 2018

mimicry or rather imparsonation or simulation or ...

春も夏も、クリスマスもあるけど、たまたまハロウィンの時期に海外にいたことがなくて、日本以外のハロウィン体験がない。

私の記憶の中では、日本でハロウィンが認知され始めた頃は20世紀の終わりで、ちょっとした扮装をしたりしなかったりして、Trick or Treat と言いながら、お菓子をもらい歩く主に子供のお祭り、だったと思う。

私がハロウィンでやってしまうことは、仮装でもコスプレでもなくて、擬態。感じ取った背景とか気配に同化する感じ。で、ちょっと目立つ。

個人的にハロウィンが好きなのは、10月に入って、涼しくなって、虫が鳴いて、彼岸花が咲いたり、お彼岸が来たり、中秋の月が輝いたり、オレンジ色の金木犀の花が咲いて、夜の空気が甘くオレンジ色になるような気がして、ハロウィン的な色彩が私個人の心もようとマッチするから。まもなく寒くて暗い冬がやってきて、枯れる命や息を潜める命もあって、私にとって、あまり遠くないあの世と交信しつつ、生と死と再生に想いを馳せる。

個人的には、日本のちょっと昔のお葬式の一連の手間と、(あまり)心の無い金銭及びあまりありがたくもない供養の品のやり取りと、仕切り屋の叱責やタカリや、人間の序列、お葬式において自己アピールをする諸団体と人々と葬式寺とお坊さんなどが嫌いだし、お盆の時季は暑いし、よりによって暑い最中にあの世から人は帰って来ないと確信しているので、ハロウィンは、まとめて故人「万霊」が帰ってくる、秋のお盆イベントという位置づけ。

ちょっと昔の昭和のお葬式の写真を見たりすると本当にぞっとする。どれだけの人々がお家の中にずかずかと入り込んできたのか、どんだけ町内ぐるみだったのか、がわかるから。生きている人間が、ストレスで早死にするイベント。(しない人もいるけど。)

生きている間は、故人に冷たくしたり、仕事を押し付けたりしたくせに、死人に勲章をあげたり、勝手に褒め称えたりしないで。(そんなん意味ないし。)

私自身は死んだら、私の遺体は、どうなってもいいな。一番エコな、CO2排出の少ない方法で消えてなくなることができればいいと思っている。棺おけすらも要らないわ。自治体の環境センターの動物火葬と一緒でいい。燃焼効率の一番よいやり方で結構です。制度的に可能であれば。

本音では、墓標などは不要だけれど、土に返ることができる布にくるくる巻かれて、生分解されて、土に返りたいので、火葬よりも土葬希望。炉で一体一体火葬して、骨上げのために炉を冷却させる、という、私には無駄と思えるエネルギーを使う、あまりエコロジカルとは思えない日本の火葬。日本人って骸骨にもなれないんだもんなあ。仮装して、非日常気分で騒ぎたい云々ではなくて、擬似骸骨体験がしたいから、私はハロウィンが好きなのかも。

諸外国もそれぞれに、お葬式はややこしんでしょうけれど、日本の従前のお葬式は、心労多く、ちっとも故人を偲べないし、最小限の近親者だけでお見送りをしたいな。

その方がずっと美しいから。

日曜日, 10月 28, 2018

searching

映画:サーチ(serching)を観た。

「カメ止め」と同じぐらい面白かった。

というか、「カメ止め」とは全くジャンルが違うけど、似た匂いがした。なぜだろう?

「カメ止め」が2段仕込みの種明かしの面白さ、「serching」は一方向に流れる情報の解釈(interpretation)による思い込みと違和感と疑いを通じて、真実を突き止めていく謎解き。

どちらも、進行していく世界の枠組み、フレームがあるところが似ていて、

「カメ止め」は1台のカメラに写るもの、写らなかったもの、という制限、フレームの内外があって、「serching」は、SNSに記録される世界という制限、フレームがある。

「カメ止め」の面白さは、カメラを止めない番組の時間の中のスピード感。
「serching」の面白さは、postingの速さ、スピード感、一瞬の目視による顔認識、予感、マルチウィンドウでの比較、虚構と実像の判別などなど。

最後に家族の愛は勝つ!というところも似ているかもしれない。

「カメ止め」が何度も見たくなるように、「serching」も、もう一度は観たい。postingとpop-upが速過ぎて、流れを追えなかったところもあるから。SNS上の関係とプライベートな本音とパブリックなプレゼンスにおいて、発言が変質してくるところも面白い。どれが本当でどれが嘘なのか?どの評価が実像なのか?

実際のところ、「あなたのことはfacebookで知ってます」とか言われることがあるけど、そんなんじゃわかんないと思うけどなあ、嘘はポストしないけどね、100%全力投稿しているわけでなし、と思いつつ、聞き流すこともあるなあ。

今後、近い将来、謎解き的な映画としては、AIが間違った解釈をしまくってしまい、冤罪をうむとか、人間がAIを暴いていく、そんな展開のものが出てくるんじゃないかなあ?なんだか、そんな気がする。

土曜日, 10月 27, 2018

押してダメなら…

中古で買ったLet's Noteのキーボードがおかしくなった。

「o」のキーを何度押しても、「o」が出てこない。

ググレないじゃないか?アマゾンに行けないじゃないか?

中国語の宿題ができないじゃないか?もう、いいや、スマホで打とう!(最近はiPhoneの方が早く打てるし、iPhoneの中国語フォントの方が日本語にしかない漢字の簡体字もあって便利ではあるが。)

とりあえず、ハズキルーペのCFの渡辺謙みたいに、「o」の字が打てな~い!と声に出して叫びまくった。

そして、あーあ、壊れちゃったのね、と凹んだ。

それで、本日、また、より小さいお安めの中古パソコンに買い換えることを覚悟して、中古屋さんに行った。

私:キーボードが壊れちゃったみたいなんですよ。突然、「o」だけが打っても表示されないんですよ。

お店の人:キーボードは1個だけ変えるってことができないんですよね。全部取り替えると1万円超えますね。

私:(おもむろに実機を見せる。)

お店の人:(キーボードを押している。)力を入れて押したら、表示しますね。何かはさまっているんじゃないですか?

私:(ええっ?あら?お菓子のかけらかなんかかなあ?やばい。はずい。)

キーをはずして、スプレーをシュッシュ、特に何も出てこなかったみたいだけれど、治ってしまいました。(良かったけど、そんな単純すぎる物理的な障害のせいだったのか。)

マルウエアを削除してもらい、めでたし。

教訓:押してダメなら、押し込んでみよう!それでいけたら、ひっぱがして、シュッシュしてみよう!

ドライブのない小さいLet's Noteよりも、DVDも観れる今のヤツがいいな。うん。
復活して良かった。