本来、人を傷つけないために、加害を発生させないために、コンプラは必要なのだが、そうなっているのだろうか?
コンプラで、人に加害を加えようとする人間の衝動(テストステロン?)そのものの根本原因を取り除くことはできない気がする。コンプラがあろうが、実際問題、密室では、不幸な性的暴行が多発していて、傷つく人がいて、損失発生、失脚する事例がウヨウヨ。
性的な加害の実現を阻止するには、危きに近寄らず、ターゲットにならない、という消極的な作戦が必要な場合も多い。リスク回避力、断る力、そんなん参加したくないです、と言い放つ力。二流で、二軍でいいです、別にって。
発信力を信じすぎているかも。
この世の中はヤバいものなんですよ、この世の中の人間は、かなり下品、ヤバい人がいるんですよ、人間って素晴らしい、誰とでもお友達になりましょうは危険。人脈、上位者からの引きが要るなら、頑張りません、という心構え、スルー力が必要なんですよねえ、残念ながら。
小さい頃から、テレビを見る家でもなく、朝は、家族でNHKのニュースを見ながらミルクティー&トーストを食べてた。民放はあまり見てない。そんなにテレビは見なかったけれど、昔の流行りの歌は、某YMCAの夏のキャンプとかスキーキャンプで、歌集を用意してくれていたりして、大学生のリーダーさんなどとみんなで歌ったりしたから、そんじょそこらの子供よりも、大人の歌に馴染んだ子供だったかも。
昔の歌は、歌詞にコンプラがないので、歌詞がヤバくて、世間の冷たさ(昭和枯れすすき)、労働は嫌々な感じ(泳げたい焼きくん)、男の不誠実さ(新宿の女とか)、寒い喪失感(終着駅)とか、馬鹿さを達観する(上から読んでも下から読んでーも、ヨノナカバカナノヨ)とか、色々な人生のネガティブ要素を、歌詞で事前にシミュレーション学習できた。
某旧帝国大学の名誉教授さん作詞、帰ってきたヨッパライ。
天国良いとこ一度はおいで、酒は美味いし、ねーちゃんは綺麗し、って歌ってた。ねぇーちゃん、言うてはるで。小学生の時に唱和してましたけど。
平成令和の時代は、歌詞がコンプラな歌ばっかりで、頑張ればなんとかなる的なきれいごとに浸って、免疫がないままに、いきなり凶暴な信じられような蛮行を繰り出されるような気がしなくもない。
SMAPの歌が音楽の教科書に載っているらしいが、世界に一つだけの花、って、歌詞が個人的にはあまり好きじゃない。一生懸命になればいいって?私は嫌、無理です。
オンリーワンで生きるのは、基準となる生き方の指標がないので、結構大変だし、ナンバーワンになれないナンバーツー以下で納得した方がいい場合も。誰でも尊いと安直に自己肯定しすぎてるけど、現実社会で壁にぶつかる。きれいごとすぎる気がする。
教科書に取り上げられる人とか作品の作者、不祥事起こしがち。唱和した人達に謝ってくれ!
水原一平、槇原敬之、中居正広。教科書に載せますので、不祥事はやめてくださいね!大丈夫ですか?不祥事があった場合は…と契約書を交わしておく必要があったかも。
たまたまNHKのみんなのうたで、花よりも花を咲かせる土になれ、という歌が流れた。
あらっ、花屋に並んだ綺麗な花が、SMAPが、否定されてる?
夢があるんだか、ないんだか、わからん歌だ。花よりも土になるの?あまり楽しくはない。
頑張れ頑張れではなくて、頑張らなくてもお花が次々と咲くように、お野菜がすくすくできるように、土づくりは大事だよというのは同意するし、この世の中、土というか、土台というか、プラットフォームを作った人が一番儲かるよね、というのは同意。日本人はそれが苦手。
個人的には、SMAPの歌の中では、断然、SHA KEが好き。仕事は辛いものです。お仕事明けはハッピーだよ。仕事に関係のない付き合いの方が有難いよ。
流行歌(はやりうた)には、ノリノリ&リアリティーのある息抜きを求めるけど、ベキ論は求めないので。