火曜日, 2月 10, 2026

Are you coming or going?

 ガトウィック空港に着いたら、昭和が終わった。たまたま、そういうタイミングだった。

ロンドンでB&Bに一泊して、コーチ(バス)でストラットフォードアポンエイボンに移動した。

私には、世の中に怖いものは数多あるけど、一人旅は平気、怖くない。

他人に合わせることで、見えづらくなり、取れなくなるリスク、そういうものに惑わされなくていいし、他者の判断待ちになったり、責任転価されたり、悪口を言われることを恐れるストレスがなくなる。一人旅は全部自己責任、何が起ころうとも私の好奇心の餌になる。覚悟を持って前に進める。

航空券が1年間オープンチケットだったし、半年は滞在するだろうと思っていたし、日本のお土産も入れていたから、荷物は何キロだったっけ?スーツケースがデカかった。B&Bに向かう道の段差を乗り越えるのが必死で悪戦苦闘していたら、イギリス人(コーケイジャン)のビジネスマン風の男性が助けてくれて、スーツケースを運んでくれた、記憶。

彼は言った。

Are you coming or going?(来たとこ?帰るとこ?)

私は返した。

You are the first British gentleman. Thank you.

(あなたが最初の英国紳士だよ。ありがと。)

その後、正確には覚えてないけど、彼は、うーん?イギリス人一般ってジェントルマンなのかなあ?血の気が多いけどね、みたいなことをスーツケースを運んでくれながらのたまった。

おー!すごくイギリス的な会話だなあ、映画のシナリオみたいだ。明るく軽く話しかけてきて、ちょい一瞬考えてみたりするところ、照れ隠しが、と思っただけだが。

なぜか、また、イギリスに行きたいな。

出会いは、特に求めてませんし、誰も私に関心を持たないであろう自信はある。賞味期限切れまくり。

サッカー観戦はしないだろう。

ハリポタも行けたら行くかも。

ミュージカル、演劇はチケットが取れたら行く。で、まわりのみんなが笑うところで、笑うようにする。

キューガーデンと動物園は行くだろう。虎が見たい。何回も行くかも。

休憩は大事。

パブに言って、人々の会話に聞き耳をたてたい。録音とかしない。したくもない。人々のリアルな会話を聴いて、さりげなく手書きの日本語と記号でメモる。

熱量とか、熱量のなさとかを感じたい。世代間ギャップ、人種間ギャップ、個人のホンネの一端を感じられるかもしれない。

昔と今と、どう変わったのかなあ?

話の内容は、政治的な熱弁でも、不満でも、家庭の愚痴でも、職場の愚痴でも、馬鹿馬鹿しくても、バカでも、画期的でも、退屈でもいい。

大学の学食とかでもいいかな。

テスコでも、Marks and Spencerでも何でもいいけど、スーパーで、ルパーブ味のヨーグルトを買って、ホテルの部屋で食べたい。

ジャケットポテトのチャイニーズキャセロール(皮付きじゃがいもの熱々焼き芋をナイフで割って、野菜主体の八宝菜をかけたようなもの)が食べたい。たまたま、あのフードトラック(ローリー?)にしかないメニューなのだろうか?

イギリスのじゃがいもが美味しいと思ったんだが。素材として美味しかった記憶。

毎日、ビーガン料理でもいい。

イギリスの寿司も体験しておこう。

コーチステーションのスロープには、まだ、Dead Slow(最徐行)ってペイントしてあるのだろうか?

特に買いたいものはないし、毎日同じ服を着て、劇場ではそれなりに、荷物は最小で、デジカメを持参しそうだ。

妄想するだけで、楽しくなってきた。






火曜日, 2月 03, 2026

路線バスから見たある静的なCIとCM。

 小学校高学年、中学、高校、短大、社会人、かれこれ20年近く、お出かけ、通学、通勤時に路線バスの車窓から見えた謎の(?)会社。

〇〇美術

会社のマーク、CIは、手焼きのバウムクーヘンのように、不規則に波打つリング状で、ローズピンクのリングとブルーのリングが重なっていた、ような記憶。ちょいミャクミャクに似ている。

で、その会社のCM(コーポレート モットー)が印象的だった。小さめの読める程度の字体の、

売れる環境づくりに奉仕する、だった。

奉仕ってたって、当然、有償、お金取るやろなあ、と思いつつ、何々を作ってますとか、どこと取引ありますとか、業界何位とか、顧客満足度1位とか、の、アピールがないばかりか、白い鉄筋のビルなのに、ショールーム的なものもなくて、物の搬入とか搬出も目撃した記憶がない。

なので、余計に、売れる環境づくりに奉仕する、というフレーズだけが、心に残り、それが命題として、美化されていった。私なりの、利他的な、全体最適な、売れる環境へのご奉仕とは何ぞや、みたいな感じで。

社会人というか、下っ端OLだった時、その〇〇美術が、会社の仕入れ先として登録されていて、あらっ!と思った。発注したかどうか記憶にないけど、平面か立体の販促物を制作販売する会社なのかも。

私は、個人としての私は、売れる環境を、広告とか販促活動とは考えてない。広告も販促も、企業様の、剥き出しのご都合なので。

買う人がいるから、売れる。

買う人が買いに行けるから、売れる。

ネットもあるけど、売れる環境づくりを、人が往来できる街づくり、公益的なインフラと捉えてしまう。

そういう私が、ずっと失望し続けているJRの駅がある。

そのJRの駅は、ノーベル平和賞を取った日本の首相が国鉄時代に駅長だったらしいが。ただの踏み台的なプラットフォーム?そこでは何の利害調整もしてなさそう。

最近まで、その駅には改札口が一つ、線路の片側にしかなかった。線路の反対側には、マンション人口も、温泉もあるというのに。

温泉側にも改札がやっとできた。なのだが、連絡通路がないものだから、駅の反対側に行くには、入場券を買わないといけないらしい。金取るんかーい。

そもそも連絡橋か地下通路がないのがおかしい。歴史のある温泉地なら、栄えていた頃に、そんなん戦前から作っとけや!

今、連絡橋が作れないなら、交通系カード(含スマホ)タッチで、0円で行き来できるようにすればいいじゃん!

踏切がめっちゃ遠い。色んな列車が通るから遮断機が早く降りて、高齢者が取り残される。線路にカートの車輪がはさまりがち。遠いから、怖いから、滅多なことでは、駅の反対側には行かない。

線路と駅で、ずーっと地域が分断されてる。

それぞれの場所に美味しいお店などあるのにな。だが、商店街はさびれまくり。30年以上前に撤退したらしいジャスコの後は、ずっと更地のまんまだ。どうせマンションしか建たなさそうな予感。

私の知る限り、温泉地側の3から4の和風旅館がそれぞれ大規模な温泉付きのマンションになっている。低層にするとか、和風の外観にするとか、景観を維持する気など全くない、普通の都市型的なマンションに生まれ変わっている。風情とか情緒が失われてます。芸のない街。

駅近エリアは、パークアンドライドで電車で目的地まで行くには便利という理由で、マンションとか駐車場はバンバンできるが、それで地域は発展するのかなあ?それで地域住民が地域内で幸せなの?楽しみは遠くに求める。

なんか車の渋滞がひどくなった気がする。

高齢になった時、車に乗らなくなった時、足腰が弱ってきた時、徒歩移動が、めっちゃ不安な街&駅だ。坂道とかじゃないし、もっと住みにくい場所と比べれば便利かも。

駅に、連絡通路(地下道か橋)があって、線路の反対側に無料で行き来できて、電車に乗らなくても駅舎で買い物とか飲食できるのが、デフォだと思うのだが、なんでしないんだろう?素朴な疑問だ。

長年、モヤモヤしてたが、もはやアディオスなのだ。

沿線グルメ列車を新造して、走らせて、全国、都会の乗り鉄をウハウハ来させたり、ビジネス子供にアピールしてもらうより、あまりお金をかけずとも実現する地域の往来の利便性をまず考えてください。軽薄すぎて、ムカつくから、都落ちを連想するから、グルメ列車には乗りたくない。

駅は周辺住民の生活を住めば都にするべきもの。極上の住民の日常を。

それが私の遺言っすね。




日曜日, 1月 25, 2026

時代と瞬間と場所で人によって異なるパンダ感

 2010年の12月、私は快晴の北京にいた。数日だけど。

めっちゃ寒かった。乾燥していて寒かった。早朝の八達嶺(バターリン)の万里の長城に人がいなかった。貸切?でもないのに。

フレンドリーなタクシーの運転手さんは、寒いのがわかってるし、長城には行かず、ゲートの外で待っていてくれた。一人で長城を歩む。

雪とか氷って、あったかいんだ。冷たくたって、モル凝固点降下はない。不純物がなきゃ0度より下がらない水は、雪でも、氷でも?(堆積する雪や氷の質量や重量の脅威は侮れないが。)

水分がないからアイスバーンではない石が冷たい。太古の昔から労役に駆り出された人々は生きてお家に帰れてないな、と思った。

ヒートテック&紫のノースフェイスのキルティング&ボア付きのコタツ布団みたいイタリアの巣鴨のオバさんが着そうなエンジ色のダサいイタリア製のコートを着て、パッチ履いて、長ズボン、厚底ブーツとフェイクファーのレッグウォーマー、イヤーマフも装置してたけど、石から伝わる冷たさが半端なくて、ずっといたら髄液が凍結するんちゃうか?と思った。コールドストーンアイスクリームの気持ち。

足元から身体の芯を目掛けて冷たさが伝播する。

空は、雲がなくて、遠くまで視界が良くて、身がひきしまりまくる壮大な眺めだった。圧倒的にΣ死>活きてる私。

北京の公園の池に氷がはり、鳥がテコテコっと歩いていた。ワカサギ釣りができそうなほどの分厚い氷ではなかったけれど。

その一角で寒中水泳をしていた、壮年男性のグループがいた。マジで。和気藹々と。

デジカメを向けたら、怒られるかな?と思ったのだが、当然、中国語で、池の中から、いい写真撮れたぁ?的な、声が返ってきた。

筋金入りの人生を生き延びてきたに違いない、失うものはないです的な、ご陽気さ。

それに引き換え、八達嶺の売店にいた若い店員さんは、意味もなくカリカリされた。

日本でもありがちな観光地とかハイウェイオアシス的な売店に、イタリアのillyのエスプレッソとかカプチーノがあったので、現代中国グルメやわあー、と感激したから、メニューを撮影しようとしたら、お姉さんが激怒。

メニューは中国語の勉強のために撮影しようと思っただけです。

と言ったと思うけど、勉強は他所でしたらいいでしょと。

実はillyじゃないコーヒーなのかなあ?飲み物として、あったかかったという理由かもしれないけど、美味しかったけどなあ。

ベルリンの壁が崩壊した直後、東ベルリンの国営レストランで、ソフトボール大のクヌーデル(芋団子のお肉煮込み)を撮影しようとした時も、コワモテのおばさんに静止された。西ベルリンから来たドイツ人のガイドさんも、逆らわず。ガイドさん曰く、ハンガリアン風の味と見た目、に感動して黙々と食べた。ラグーソースみたいなもので、煮込まれていた。

外部の人間による当地の素朴な日常に対する注目、ここでこんなものがぁ的な注目には、バカにされてるかもという、機密保持というよりも、ムカつきを感じるのだろう。多分。すみません。

北京動物園にも、正規にタクシー代諸々を支払い、連れて行って頂きました。

パンダのエリアすら空いてた。

たまたまかもしれませんが、寒いのに、中国の保育所で履くお尻がみえる穴あきのズボンを履いた小さい男の子と若い美人さんの(多分)お母さんがいて、男の子がパンダに向かって叫んでいた。

大熊猫(ターションマオー)と。

名前ないんかい?非公開か?

広い柵の中の木の台の上に大熊猫はいて、可愛く自由にのんびりされていた。

帰国後、中国留学歴のある方に、写真をみせて、北京動物園のパンダは、ランランとかカンカンとか、リーリーとかレイレイとか、名前なかったっすよ。書いてなかったし、子供がターションマオ言うてましたわ。空いてたし、ビックリ。

というと、いやあ、パンダきれい。白い(白いところが)、昔はドロドロやったのに。もっと茶色やったわ。(そこかい?)

その方が目撃したのが、たまたま泥遊び後のパンダだったのかもですが。

中国人の中国語の先生は、パンダ、ゴワゴワ、とおっしゃってましたし。剛毛らしい。

昔々のディズニーのキャラクター、パンダのアンディは、なぜか庭の雑草と戦ったりするし、どちらかと言うと性悪キャラクター。

現代日本の日本人のパンダ愛は、それなりに、かなり特殊かも。偏ってるわ。

パンダは野生動物、珍獣さんなのですからにして。凶暴で俊敏で頑強な面もないと四川の山奥で生きていけない。

私は、黒づくめの服を着てまで、パンダを見に行って撮影する気はないです。

パンダロスで泣くでない、日本人。

北京動物園の小山のような老虎の像が印象的でした。


日曜日, 1月 04, 2026

notebookLM

 始めに言葉ありき?

唐突だが、今年のマイ漢字は『計』。

一年の計は元旦にあり、とか、大谷翔平のような人生の計画があるわけでもなく、今までの実績において、有言実行してきたわけでもない。

計画ではなく、計測の計。

何かを買いたい、使いたい、作りたい場合、こまめに事前に計測してから、判断すること。サイズが曖昧なまま、行動に移さないことを心がけたい。で、支出、規模、ストレスは小さく、満足は大きく。

例として、セリアで直径10センチの底が抜けるタイプのケーキの型を2個買った。100均だから、110円(税込)を2個。

これは秀逸だ。直径10センチ、なおかつ、底が外れる。玉子1個で、ホールのチーズケーキが2個作れる。底の土台は、クラッカーの砕いたものでもいいけど、丸ぼうろがそのままはまる。ジャストフィットだし、素材としての美味しさもレベチだし、クリチーとあう。

型を小さく作り、底が外れる。それってハイテクでも何でもないけど、小さく、ジャストフィットはいいことだ。オーブンを選ばないし、小さくてもホールケーキは素晴らしい。

とにかく作りやすい。チーズケーキは冷凍が効くし、便利なんだ。

定番的に商品化した人に感謝したい。

私は、ハイテクに依存しない改善を評価しがちなタイプだ。

唐突だが、googleのAI、notebookLMには、力一杯驚いた。

画像の解析能力が凄すぎる。画像の中の文字を認識している。

画像の音声による解説が、2名、男女の掛け合いにもできる。ポッドキャスト。日本語でありながら、文化人類学的視点、というか。日本人の日常の惰性にはない、外国人の視点はある。立山律子(北九州のcrossFM)のスタンドポイントも愛あるオッちゃん攻撃?も、それを求めてやってくるオッちゃんの懲りない投稿もない。

立山律子さんの面白さを、crossFMの面白さをより実感させてくれるなあ。notebookLM。LMって、ランゲージモデルの略らしい。

しかし、AIは、こだわりのない、中庸にしかならない。それが的外れに感じるぐらいに。

私は、私なりに、こだわって、振り切って生きていきそうな2026年だ。

すごい、すごい、すっごーい、からと言って、それを使って何するわけでもない。しかし、マイデータは貯める、取り出す、でしょう。

感覚的に、総量として、地球規模で、やはりAIは、めっちゃ電気要るなあ、環境負荷はかかるわ、と、心配になる。


土曜日, 12月 27, 2025

漢字が読めなきゃ配送は難しいよ

 物流の人手不足を解消するために、自動車運送業を外国人OKにする、とか。

どの程度のイレギュラーのない配送かにもよるでじょうが、大丈夫そうな気はしないなあ。

先日、たまたま、ピザの宅配をしていた、恐らくネパールの人がマンションの部屋番号を押して、住民にドアのロック解除をお願いしている場面をみた。

インターホンから、『ピザ頼んでません!』と住民の声がした。ちょいキレているような声だった。インターホンも切れて、ドアは開かない。

で、ネパール人は、住所がプリントアウトされた紙を見て、ここであってんじゃん?みたいな顔をした。

で、私は、お助けするわ、紙を見せて、と言って、見せてもらった。

マンションが間違ってるよ。これはねえ、隣の家の先にあるマンションだよ。あの大きいヤツね。

ネパール人はその間違いを理解して、そっちに向かって行った。

けれど、特に何も、返答はなし。

私にありがとう、もなし。別にいいけど。

ピザの注文してないのに、誤配されかかった家の人は、怖かったんじゃないかなあ?

配達する人が、すみません、間違いました、とか。

場所を間違えたみたいです、もう一度確認します、とか、言えればいいけど。

そもそも、マンション名を確認するには、かなりの日本語力が必要。

マンション名は、数字だけじゃなく、カタカナ、アルファベット、漢字などのコンビネーションだから。

ひらかな、は、あまりないかもだけど。

1軒屋はもっと大変?でもないかなあ?