金曜日, 10月 02, 2026

雨上がりの公園にて

曇りだったり洪水にはならない程度ではあるけど、雨ばっかりで、やっと晴れた日に。

なぜか、ふと、強く強く思った。

公園で551の豚まんが食べたい。

で、どこの公園に行くか?

本当に公園として行きたかったのは、亀岡の公園なんだが、車で行くとなると、事前に551の豚まんが買えないし、コンビニの豚まんは嫌なんで、道中で、551の豚まんを買ってから行ける近場の遺跡公園に電車&徒歩で行った。

途中で、除菌ティッシュと、プラ容器入りの粒がふさからはずしてあるお安めの岡山のぶどう、多分、ピオーネと、牛乳とカフェ・オ・レも買い、岡山のぶどうは公園内の施設の給茶室で洗浄。

デパ地下で、551の豚まんと松茸ちまき、も買う。

で、公園内の日陰のベンチでウハウハと豚まんなどの箱を開いて、さあ、食べよう!とすると。

あれっ、さっきまで誰もいないと思って、ココにしたのに。

突然、鬼ごっこをして走り回る高校生がいっぱいわいて来た。

高校生は豚まんにつられて出てきたわけではなくて、そういうタイミングだったみたいで。何で鬼ごっこなんかしてんのか、わかんないけど、久々に晴れたから、やりたくなったんですかね?楽しそうに見えた。

豚まんを太陽にかざして食べている我々。

それが彼らの視界に入らないわけはない。

美味しそうやろ、ごめんね。見せつける気はなかったけどね。着いた時には誰もいなかったからさ。

ぶどうも美味しいや。

しばらくしたら、10人ぐらいはいた、男子高校生は流れで帰って行った。豚まんが、あまりにも目障りで、鬼ごっこがアホらしくなってきたのかも。すまない。

しばらくしたら、女子高生の4人組が来て、となりのベンチに座った。

で、声をかける。

ねえ、このぶどう食べない?

お手拭きの除菌ティシュもあるし、ぶどう、洗ってあるから。私たち、十分食べたし、持って帰るの大変だから、もらってくれない?と。

えっ?いいんですか?みたいな反応だったけど。

可愛い女の子は、ぶどうを食べた方がいいのよ。秋って感じでしょ?と、たたみかけてみる。

ゴミはちゃんと持ってかえってね!と。

除去テッシュを1枚づつ取って、ぶどうの皮をむき、美味しいと言いながら食べ始めた。

制服の感じは違うけど、私が高校生だった頃を彷彿とさせる?良さげな、仲良さそうな女の子達だったから、一人の女の子のスマホで4人の記念撮影をしてあげた。私がそうしてあげたかったから。

久々の陽光に加えて、幸せと希望が降り注ぐような、秋の1日になった。



水曜日, 9月 30, 2026

味覚感度、幸福感度のカリブレーション(calibratiob)かもしれない。

 食べてみて、匂いを嗅いでみて、見てみて、時には音を聴いてみて、温度を感じてみて、美味しいと感じるのは、個々人において、絶対的な部分もあるだろうけれど、相対的というか、美味しさの受容体の感度を慣らされたり、高濃度の味を麻薬的に投与されていって、エスカレートすることもある。

塩味、甘味、旨味、脂味、美味しさであっても、次々と高みを知ってしまうのは、幸せなようで、どこまでいっても満足できず、不幸せと金銭的な浪費につながるくたびれ儲けかもしれない。

ふとしたきっかけから、YouTubeでたまたま観た、英国王室の元料理人さんが、ダイアナ元妃のリクエストで作ったらしい、オレンジ果汁ベースのOvernight-Oats(オーバーナイトオーツ)を見て、私も作ってみて、その上品なおいしさにハマってしまった。

私が初めてオートミールなるものを知ったのは、20歳の頃で、米国のカリフォルニアにホームステイした時だったと思う。

冬だったから、オートミールが温かくて、温かい牛乳をかけて、バナナも入れたのかもしれない。頑張れば食べられけど、牛乳は飲めるけど、どろっとニュチュっとしたノリ食感がイマイチだなあと思った。私はヨーグルト&バナナにさせて頂いたように思う。牛乳は嫌いじゃないけれど、オートミールはなし。

それ以来、オートミールは砕いて、揚げ物の衣にしたり、クッキーなどの焼き菓子に混ぜたり、カリカリっとする方向性では使っている。

ダイアナ元妃のオーバーナイトオーツ、彼女がご存命中は、オーバーナイトオーツという呼び方はしなかったらしいけれど、(ミューズリーかな?)先に、オートミールにオレンジジュースをしみこませて、冷蔵庫に一晩保管して、朝ごはんの直前にギリシャヨーグルトとあえて、リンゴ、レーズン、レモンジュース、ブルーベリー、クルミなどとあわせて、ハニーを少々かける。リンゴの食感とジューシーさも良い仕事をしていると思う。

さらっとしていて、上品味。

色々な果汁や果物で試してみた。ギリシャヨーグルトでなくても、普通のプレーンヨーグルトで作って美味しい。私は、レーズンではなくて、ラムレーズンを混ぜている。(レーズンはすべてラムレーズンにしちゃっているから。)

ゆっくり咀嚼して食べる。オレンジ果汁等が美味しいので、ゆっくり噛んでいられて、お腹いっぱいになる。腹持ちも良い。

しかし、オーバーナイトオーツ&フルーツだけでは、最初は、もの足らないのかも、と思い、塩味の今までも好きな、クラッカー的なビスケット少々とか洋菓子屋さんのマドレーヌを半分だけとかをお皿に添えておいて、オーバーナイトオーツを食べてから、食べてみると、意外な味覚、味の感じ方の変化があった。

塩味(しおあじ)とか甘さがシャープに、しつこく感じるようになった。

比較的ナチュラルで添加物が少ないものを選んでいるけれど、クラッカー的なビスケットの表面の塩が舌を刺すというか、塩味(しおあじ)を強く感じた。味が濃い。

マドレーヌの甘味もテクスチャーも重い。

味が変わる不思議。

塩味(しおあじ)とか甘味は、相対的で、直前に食べたものの味に慣らされて、味覚がそれを基準として、評価するようになるのかも。

天然の果汁もフルーツもドライフルーツも、複合的な味で、甘味は噛んでいるうちにジワジワと出てくるし、お砂糖をほとんど入れてないので、いきなり甘さが舌の味蕾を刺激することはない。舌が、口腔内で、甘さとはそのような微妙なものである、という感度調整がなされているんじゃないかな?

我ながら、びっくりした。

最近食べた、大阪にある、女子に人気で行列のできる台湾の豆花のお店の煮小豆が無糖で、それがかき氷にかかっていて、豆としては美味しいんだけれど、甘くなかったことに衝撃を受けたんだが、今食べたら、それをかなり美味しいと感じるかもしれない。

甘いミルクシロップはかかっていたので。

オーバーナイトオーツに無糖ゆで小豆をトッピングして、はちみつをかける、ってのもいいかもしれない。黄な粉とか豆乳とか黒蜜とかも。なんでもありだ。

結論として、飛躍するようだが、人はささやかな、低刺激な快楽を浴びつつけた方が、幸福でいられるのではないか?という気がしている。今更ながらに。

美味しいもの、旨味がコテコテのものを求める、求め続ける、Foodieとかグルメであることは、満足レベルが上方にバグってくるというか、案外不幸なことなのかもしれない。

添加物、油脂、塩、甘味料だらけの、ファーストインパクトがガツンとくるジャンクフードは当然基本NGだが。


金曜日, 9月 25, 2026

市長になるのなら、規範的な市民たれ。

 市長ってさ、平たく言えば、市のリーダーでしょ。できれば人格者であって欲しい。

市民のトータルな民度と生活水準を上げる方向性で、教育、福祉、土木、治水、商工産業全般に尽力したい人であるべき。

投票用紙には、ちゃんと候補者の氏名を書いてください、と言うのがスジです。

名前ではなく、団子屋、だんごや、って書かれて、ご本人は、うれしいの?それでいいの?

書いた人は、真面目に投票したとは、思いにくいけどなあ。

裁判所も暇じゃないのよ。

茨城県の市に豪雨が来ない保証もないしね。

何のために市長でいたいのか?が疑問だなあ。貴方でなくていいです。和菓子屋さんも原料高騰でご苦労が多いはずだし、ご実家も迷惑かも。

付き合っている暇はないはず。


月曜日, 9月 14, 2026

真・行・草、そして、種。

 たまに竹中大工道具館に行きたくなる。木工を習いにいっても、きっちりと良い仕事をする木工職人にはなれないし、いい加減なアバウトさしかない私なのに。

大きな木から木材の切り取り方(正目とか木目とか)を見るとか、特に好きだ。

本音では、寺社仏閣建築よりも、民家建築とか、長年の日本の風土故に、日本のマンション(鉄筋コンクリートの集合住宅)ですら、諸外国とは異なることがひっかかる。その違いのルーツは何だろうか?

西洋との違いの最たるものは、お風呂、バスルーム。日本語では、湯と水があり、お風呂は基本的に湯、あるいは、湯気だ、暖気だ。(冷たい)水ではない。

シャワーの登場なんて最近の話だ。

そもそも風呂おけ(バスタブ)ありき。

バスタブの中のお湯を美しく使う。

風呂おけ(バスタブ)の中で身体を洗い、ゆすぐ、洗剤を流す、なんてことは、そもそもない、しない。風呂おけ(バスタブ)の外でしか、体を洗わない。太古からかどうかは知らないが、戦前からそうだ。

だから、日本のお風呂場は、ゴージャスハウスでも団地でも、タイル張りでもプラスチックの小さいユニットバスでも、チェンバー(風呂場)そのものが、水ハネ、スプラッシュプルーフ。シャワーを勢いよく使用しても、お風呂場のお外に水が漏れない構造。

Netflixのクラウン、の、最初のあたり、二話目あたり、首相官邸ですら、チャーチルがバスタブの中で、バウンスしたら、バスタブの石鹸の泡が入ったお湯が、溢れて、ドアを超えて、部屋の外で報告書を読み上げさせられていた、女性の秘書官?が石鹸水で滑ってこける。←ありえない?ありえーる?英国のお風呂事情。今はどうなってるの?

日本では、バスタブだけじゃなく、バスタブの外にも、排水口、ドレインがトータル2個はあるが。

身体ゴシゴシ洗い放題。洗剤の泡をジャージャー洗い流し放題。

それに対して、欧米のバスルームって、狭いスペースでシャワーだけだったり、バスタブの中でシャワーを流すだけのスタイルが強固に続いている。YouTubeで観る限り、最近の新築のお家でもそうみたいだ。

バスタブにお湯をためて、さめたら追い炊き再加熱して、バスタブで温まる、というようなこともなく、バスタブから出て、水が漏れないチェンバーでシャワーの水を飛び散らせ放題のリラックス感もない。

何故にいまだに、日本のバスルームが、欧米に広まらないのかなあ?欧米の住宅の方が全体的なスペースはあるはずなのだが。

過去から続く、風土に、天候に支配されてきた文化習慣はなかなか変わらないものだ。

ご家庭のお風呂の違いに関して、これといったヒントが得られなかったけれど、職人さんの技のビデオが色々あって、ホテル川久の有名な青い柱のサムネイルを見つけた。

木造の技術がメインなのだが、左官職人のカリスマ、久住章氏のビデオもあった。

ホテル川久の青い柱、大理石を産出しないドイツの技術、左官の技で人造大理石を作る「シュトックマーモル(石膏マーブル)」の技法を自らドイツに習いにいって、日本の職人を集め、習った技術を教えて、白浜の海の色と響きあう青い柱を何本もそろえる。(柱1本億越えのお金をかけちゃったバブルの時代の、こだわりまくった狂気なんだが...。)

シュトックマートルって、実際のところ、どう作るのかわかんないけれど、その青い石のような光沢が子供が光る泥団子を作ろうとする情熱に通じるような気がしなくもない。

久住章氏は、ホテル川久に関わった後、ツルツルピカピカの大理石のような左官技術にとどまっていないところが、凄い。

左官の世界に、真・行・草、があると言っていた。楷書、行書、草書みたいな感じだろうか。

私が一部、漆喰の壁をテキトーに塗って、ラフな味があるよね!という自画自賛というか、きっちり塗れてないことの言い訳のようなものとは違う。

お茶室など、角の処理、色、粗さ、土と礫の混ざり具合、藁のチラシ具合、全部、狙って出している。素材や壁にあわせて、コテから細かく発注されて、ダメ出し、

土着の自然と調和した、土壁の左官もされるんだ、と感動した。

私の好きな土壁は、福岡の大濠公園で、その現物をリアルに見たわけではないのだが、通りすがりのおっちゃんの話しに聞いた外様大名黒田藩の土壁。

兵糧攻めに備えて、土壁の土には種子を練りこんでいて、水をかけたら発芽するようになっていたというもの。

黒田藩が、徹底的に、孤立無援の外様であったのかどうかは知らんけど。

お天気が荒々しく、地震の恐れは日本国内どこにでもあり、天災が牙をむく昨今。毎日、ひたすら、水耕栽培のスプラウトを発芽させて食べている。発芽する種は大事であり、有用、食用で、美的な新芽を生み出す。

いざという時、スプラウトのスルフォラファンが、孤独な私の籠城を助けてくれますように。

日曜日, 9月 06, 2026

Searching "A Little Bit of Good" for Evil Conduct for What?

 何がきっかけだったのか思い出せないのだけれど、今年になって、チャールストンダンスが好きになってしまったこともあり、ミュージカルCHICAGOを観てみようと思うに至った。

以前に米倉涼子さんがボブスタイルのVelma Kellyを演じたと思ってたけど、Roxy役なのか。私の気分が、ジャズでもチャールストンでもなくて、心が動かなくてチケットも取らず、関心もなく。しかし、この役を演じるのは大変というのはわかった。特に、Roxyへの注目を逆手に取って、二人ならできるから一緒にやらない?と、Velmaが、Roxyを誘う、片割れ芝居を舞台上で一人でするところが、言語的にも、表現力的にも、難しそうに思ったけれど。

今年がミュージカルCHICAGOが始まって30年の記念すべき年らしいし、日本語版ではなくて、ブロードウェイキャストで世界ツアーをしているみたい。だから、大阪公演もあったのだ。

1920年代のストーリーだし、規範的な時代でもなく、殺人事件が絡んでいるぐらいの知識、だいたいの内容の予想はついたけど、あえて、事前に調べないで観に行ってみた。

想定以上に凄かった。面白かったけど。この題材がエンタメになるなら、なんでもエンタメにできると思った。

同じミュージカルでも、レ・ミゼラブルの対局にある世界かも。

罪として、ちょっとした盗み、と、殺人、と、どっちが重いんだよ、と、思わなくもなかったけど。

殺人って、正当防衛にできてしまう。

全て印象的な面白い楽曲、歌だったけれど。

"A Little Bit of Good"っていう歌が、一番怖くて、心が広いような、美しいような、印象操作というか、陪審員が有罪無罪を決める国、アメリカ的。

高らかに、清らかに、愛あるように、オペラのように、歌われるアリア。

裁判って、見世物なのね。弁護の質は金。この世の沙汰は金次第。マンマミーアより、マネーマネーマネー。

裁判で、絞首刑を免れて無罪になったのに、世間でもっと派手な殺人事件が起こって、世間の関心がなくなってしまうことに意気消沈する。ショービズで稼げなくなることが辛いと思う、Roxyは、現代にもいるかも。

象徴的で比喩的な演出だけれど、弁護士を雇えなかった、英語が話せない、無実を主張し続けたハンガリー人の女性は絞首刑になってしまった。絞首刑も世間の見世物。新聞の売り上げの火だね。YouTubeの炎上と同じ?

やったことは善でも悪でもよくて、承認欲求を満たしたいという人間の、あさはかで痴的な狂気と狂暴な残酷さは、いつの世にもある。今も山のようにある。レ・ミゼラブル的な世界もある。

ダンサーさん、アクターさん、パフォーマーさんの、背筋の美しさと、肩と腕のしなやかさがかっこ良かった。人間、背中が大事。色々な意味で。

衣装が黒でボディーコンシャスなのが、エロいというよりも、人間の内面の心のグロさ、タフさを表現していて、コスプレじゃないところ、生身感が良かった。

セリフの声、歌の声量、野太さ、倍音の響き、ロングトーンの長さ、それは体格差なのか、発声方法で克服できるものなのか、わかんないけど、素晴らしかった。

3階のA席から、バードウォッチング用のガチ双眼鏡で、ダンスシーンなどを真剣に見てしまった。

複数の男性の肩の高さで、女性を寝姿勢のままリフトするシーンもあるけど、下ろし方が丁寧というか、ちゃんと地面まで下ろす。(スケートの、りくりゅう、みたいに、空中にスローして流れるように着地はしない。)安全配慮的なコンプラがしっかりしてそう。

舞台全体を俯瞰したいタイプ。ケチであるだけ、かもしれないけど。