何がきっかけだったのか思い出せないのだけれど、今年になって、チャールストンダンスが好きになってしまったこともあり、ミュージカルCHICAGOを観てみようと思うに至った。
以前に米倉涼子さんがボブスタイルのVelma Kellyを演じたと思ってたけど、Roxy役なのか。私の気分が、ジャズでもチャールストンでもなくて、心が動かなくてチケットも取らず、関心もなく。しかし、この役を演じるのは大変というのはわかった。特に、Roxyへの注目を逆手に取って、二人ならできるから一緒にやらない?と、Velmaが、Roxyを誘う、片割れ芝居を舞台上で一人でするところが、言語的にも、表現力的にも、難しそうに思ったけれど。
今年がミュージカルCHICAGOが始まって30年の記念すべき年らしいし、日本語版ではなくて、ブロードウェイキャストで世界ツアーをしているみたい。だから、大阪公演もあったのだ。
1920年代のストーリーだし、規範的な時代でもなく、殺人事件が絡んでいるぐらいの知識、だいたいの内容の予想はついたけど、あえて、事前に調べないで観に行ってみた。
想定以上に凄かった。面白かったけど。この題材がエンタメになるなら、なんでもエンタメにできると思った。
同じミュージカルでも、レ・ミゼラブルの対局にある世界かも。
罪として、ちょっとした盗み、と、殺人、と、どっちが重いんだよ、と、思わなくもなかったけど。
殺人って、正当防衛にできてしまう。
全て印象的な面白い楽曲、歌だったけれど。
"A Little Bit of Good"っていう歌が、一番怖くて、心が広いような、美しいような、印象操作というか、陪審員が有罪無罪を決める国、アメリカ的。
高らかに、清らかに、愛あるように、オペラのように、歌われるアリア。
裁判って、見世物なのね。弁護の質は金。この世の沙汰は金次第。マンマミーアより、マネーマネーマネー。
裁判で、絞首刑を免れて無罪になったのに、世間でもっと派手な殺人事件が起こって、世間の関心がなくなってしまうことに意気消沈する。ショービズで稼げなくなることが辛いと思う、Roxyは、現代にもいるかも。
象徴的で比喩的な演出だけれど、弁護士を雇えなかった、英語が話せない、無実を主張し続けたハンガリー人の女性は絞首刑になってしまった。絞首刑も世間の見世物。新聞の売り上げの火だね。YouTubeの炎上と同じ?
やったことは善でも悪でもよくて、承認欲求を満たしたいという人間の、あさはかで痴的な狂気と狂暴な残酷さは、いつの世にもある。今も山のようにある。レ・ミゼラブル的な世界もある。
ダンサーさん、アクターさん、パフォーマーさんの、背筋の美しさと、肩と腕のしなやかさがかっこ良かった。人間、背中が大事。色々な意味で。
衣装が黒でボディーコンシャスなのが、エロいというよりも、人間の内面の心のグロさ、タフさを表現していて、コスプレじゃないところ、生身感が良かった。
セリフの声、歌の声量、野太さ、倍音の響き、ロングトーンの長さ、それは体格差なのか、発声方法で克服できるものなのか、わかんないけど、素晴らしかった。
3階のA席から、バードウォッチング用のガチ双眼鏡で、ダンスシーンなどを真剣に見てしまった。
複数の男性の肩の高さで、女性を寝姿勢のままリフトするシーンもあるけど、下ろし方が丁寧というか、ちゃんと地面まで下ろす。(スケートの、りくりゅう、みたいに、空中にスローして流れるように着地はしない。)安全配慮的なコンプラがしっかりしてそう。
舞台全体を俯瞰したいタイプ。ケチであるだけ、かもしれないけど。