夏生まれだから、夏らしいレジャーをしなくても夏が好きだったけれど、暑すぎちゃって、夏には引きこもりたい。
最近は、冬の冷たくて澄んだ空気と枯れ草の柔らかさと小枝の切りやすく折れやすい乾き具合と、土の掘り返し作業が、ただただ好き、好きすぎる。
抜いた後の枯れ草も剪定後の小枝も、そんなに容易く素早く、冷たい土にかえっていくわけではない。
だけれど、別に腐葉土になってなくてもいい。
細かくなった小枝は土をエアリーにするから、馬鹿みたいに、アホみたいに、呆けたように、園芸バサミで、乾燥しつつある枝や草を小さく切り刻むという趣味、あるいは、慣性、あるいは、惰性を続けてしまう。握力向上にはいいのかもしれないけれど、ハサミは右手しか使えないから、右手と左手の器用さと筋力の差がますます拡大しそうだ。
切り刻もうとする小枝が硬ければ、土に埋めて、気が向いた時に掘り返したりして、表面が腐敗して柔らかくなったタイミングでハサミで切り刻む。餌を土に埋めるみたいな、まるでワンコ?
切り刻んだ小枝は、土に混ぜてしまったり、切り刻んだ小枝を集めて、プランターの上に敷き詰めるための材にしたリしているし、冬のうちに、せっせと、そのためのストックを蓄えている。水やりの際の土はね泥はねで植物が弱ることの防止、土の水持ち、乾燥防止、強すぎる寒さやヒートの干渉材にもなる、刻み小枝。
もはや、夏のシエスタのために、冬に働くクマのような私。
なんでもかんでも、高級ではない園芸鋏で切り刻んでいるから、意外なものがハサミで細かくできるようになった。できることに気がついた。靴で踏んでも砕けない、シジミの貝殻はハサミで砕くことができる。カルシウム、あるいは、石灰のような、PH調整剤になる、はず。ある日、植物に吸収されて、ものすっごーいパフォーマンスを発揮するかも。
私がお食事をした後に残った、鳥、魚、豚、牛の骨は、全て、土に埋めて、掘り返してハサミで切り刻んで、土に混ぜている。骨にあるリン酸が効いて、きっと綺麗な花に生まれ変わるロマン。
お茶殻は、既に乾燥&発酵させた葉っぱだから、いきなり土にぶち込んでいるけれど、コーヒーのカスは1年ぐらい熟成させる。何も植える予定のない地面に投入。
みかんの皮、柚子の皮などは土に撒いて、土をポプリ化。シトラス系の爽やかな芳香が立ち上っている気がする。冬の清涼な空気に着香しているような気分になる。
徐々に、徐々に、様々なオーガニックマターの姿は消えていく。
窒素、リン酸、カリ、以外の、水と二酸化炭素になったって、いいじゃん別に。
納豆のパックは水洗いして、その水を土にかける。土の中で納豆菌が増える。土が団粒化する。
玉子の殻+お酢で、炭酸カルシウム。某マヨネーズ会社の園芸肥料と同じ。
冬の夜の庭、頭の上には、冴えた満月。
そこで一句。
月という
穴から見られる
冬の庭
宇宙人だけが、その穴から私を見て、私の行動に理解を示してくれている。それでいいのだ。