月曜日, 9月 23, 2024

全ての瞬間が歴史に残ることはないとしても…

 斎藤元彦暗件、数々の不幸事例、が、トリガーとなり、私が目にしたり耳にした過去の暗件を思い出した。本当に振り返ることもなかった、今になっても、私の今後の人生には、どうでもいいことなのだが。

私がOLの時は、テレビの街頭インタビューの受け答えとかでも、おっさんのご意見をとして、組織で、ただただ生き抜くことの根性論が、まだまだ支配していたような気がする。死ぬやつはそいつに問題があるみたいな。(私はそうは思わないけれど。この場に及び、社内結婚に固執する方がいらっしゃるのも謎だったなあ。)

昨今の兵庫県知事関連の該当インタビューでは、人が(2人もそれ以上)亡くなってますしね、と語られますが。

私の過去の仕事の担当(現地法人)って、そもそも、どういう経緯で誕生したんだろうか?いつからあるのかしらん?と、社史を見てみようかな、とウェブサイトを見てみたら、

えっ?海外は、まず台湾で大陸?北米?…。

ある広域的な(大陸と呼んでもいい)地域への事業進出に関して、ほぼ一括で何も書かれていなかった。それは黒歴史なんでしょうか?それは経営判断ミスだったので、会社の歴史から抹殺されているのだろうか?詳しい社史にはあるのかねえ。

個人の履歴書に、入学したら退学とか卒業とか、書かないといけないように、進出したら退出も書かないといけないから、進出の記述がないのかもね。全く気にもしていなかったけれど、どう退出したのか?なんだか気になるわぁ。

具体的な数値は覚えていないのだが、配属前の入社研修時に耳にしたので、人事関係の方のレクチャーの中だと思うのだけれど、同業他社様との比較において、他社は市場規模○○(数値も市場規模の測り方も覚えていない)以下のところには進出しないんですよね、みたいなことをボソッと言っていた。(具体的にどこの地域とは言われなかったが、どこにでも出ていく自社を軽く批判されているのかな、と思った。)

同業他社様が進出しない暗黒地域に配属されて、その中でも個人商店と言っても過言ではないかも?太陽サンサンのリゾートのインバウンドさん向けみたいな商品を出すお仕事をやっていた数ヶ月は個人的には普通に楽しかったけれど。それは特殊な、とても稀な代理店さんエリアだった。

初っ端からコレポンに苦労はなかった。アンタ、男やったら良かったのになあ、って言われた。周りにいる日本人男性社員のタバコの煙による息苦しさに比べれば、テレックスでのコレポンなんて楽勝だったな。相手先がダッチというか、コスト意識が高くて、テレックスの受信にもお金がかかるので、毎日打ってくるな!要件をまとめろ、とは言われたが。専用回線でもないし、電子メールじゃない時代なので。

売上の大小という意味ではなく、成長市場という意味でもなく、海外のまあまあ富裕なお客様のニーズ、ウォンツを把握する、反応を見る、という意味では、使える市場だったのではないのかなあ?と個人的には思うし、ずっと、創造的に、その地域を担当していたかったのにな。(配転させられてしまった。)

規模ではない、量でも売り上げでもない市場を地域割ではないグローバルな市場全体のマーケティングに使えるかもね、なんて言っても、どうでっしゃろ?現在も治安もさほど良くないし、昨今は特に、ハリケーンくるくる地域だ。

私の担当ではないが、いまだに意思決定プロセスは謎、私ごときにはわからないが、なぜそこに生産拠点を作ったの?という現地法人は、退社後に、こんなところでも頑張ってます的なテレビCMでも見た気がするのに、会社の歴史としてはなかったことになっているのか。何の記述もない。

遡ると虚しい。(郷土史、日本史、遡ると面白い分野、今やったらアウトでっせ?という悪行が功績になっている歴史もあるあるなのだが。)

実際に赴任されていた方は、ご苦労もあったはずで、もっと虚しいんじゃないかなあ?(知らんけど。)

サラリーマンには、虚しさがなければ、サラリーマン失格です。そういうことなのかも。