私は植物を育てることが好きで、結果として、枯らしてしまうことも含めて、面白いと思っている。植物の適応力を感じるのが好きだ。
こぼれ種で勝手に発芽して咲いたタールベルクデイジーの黄色いお花は寿命が短い。土がほとんどない場所に生えていて、そこからふわふわの土の花壇や植木鉢に移植すると、狭い狭い隙間に入り込んだ根っこが切れるからか、萎れて枯れてしまう。
咲いている場所で、そのまま放置しておくと、短いサイクルで、お花は終わってしまうけれど、できた種子が飛んで、近隣のちょびっとの土の上でも発芽発根していて、気がついたら同じお花が咲いている。根はデリケートで移植が効かないのに、暑さ寒さ乾燥には強くて、痩せ土で十分のようだ。そういうタイプの適応力がある。
可憐なようで、タフでいて、タフなようで、デリケートだ。人間のコントロールを寄せ付けない、そういうところが好き。
それに反して、人間の作為の賜物、開店祝いの胡蝶蘭が苦手。
胡蝶蘭を持ってこられたら嫌なんで、持ってこられたら断るのも悪いんで、精神に変調をきたしそうなので、開業とか開店をしたくない。それぐらい胡蝶蘭の鉢植えが苦手。
あの仕立て方は胡蝶蘭の本来の姿ではない気がして、人間の欲とか、人間関係とか、お付き合いとか、生産者さんの生産管理とか、細かいダメだしとか、そういうものの塊に思える。お値段が無駄に高い。大きなお世話って感じがするプレゼント。未だかつて胡蝶蘭の鉢植えをもらったことなどないのに、想像するだけで落ち込む。
お花を一定の角度にガイドワイヤーで固定すべきなのか?一輪でもお花が落ちていたらNGなんでしょうね。
胡蝶蘭は、花持ちが良いわけだが、同じ花がずっと咲きっぱなしなのもつまらないし、飽きるし、インテリアとしても、アレンジのしようがない。花が終わってからどうすればいいのか?ガイドワイヤーはどのように捨てればいいのだろうか?土に帰らないし。
蘭って、本来は、ジャングルみたいなところで、なんらかの植物に寄生しているのを、プラントハンターが取ってきたもの。開店祝いの花じゃなくて、ワイルドな生き物。
蘭は、adaptation力が高いというか、すごくポテンシャルが高いというか、蒸発してなくなった水を足すだけで、人間が快適に過ごせる室内で生き延びるらしい。そういうところは魅力的。好き放題、好きなように、観葉植物のポトスみたいに、飾るように共生できたら、育ててみたいお花だ。
そもそもジャングルに居たのに、室内でも育つってのは、面白い。そういう蘭なら一緒に暮らしてみたいな。
Adaptationという映画の中で、蘭にAdaptation(適応力)があるのは、人間と違って、メモリーがないから。恥じの概念がないから変化を厭わない、みたいなセリフがあったような気がするのだが、東北地方の初冬というか晩秋の冷たい海を泳いでいて、海上でハンターに駆除(射殺)されたツキノワグマはどうなのだろうか?
なぜ、あえて、冷たい海に飛び込んだのかなあ?
それは、Adaption(適応)ではなくて、やったら泳げました、という、Evolution (進化)なのかなあ?
その熊には記憶(メモリー)があって、厭世感があったのかも。海が素晴らしいところではないにしても、熊同士の抗争に敗れて、陸の上に居場所がなくて、楽しいことなど何もなくて、これ以上誰も傷つけたくもなくて、この世からあっさり消えたかったのかも。
海の上で、自ら力つきて、深海魚の餌になりかったのかも。ハンターに射殺される運命であるとしても、射殺されたまま、そのまま海底に沈んでしまえば、誰にもご迷惑がかからないと思っていたのかもしれない。
冷たいであろう海を泳ぐ熊の映像を見ると、頭の中で、スキマスイッチのマリンスノウが鳴ってしまうんだが。なぜ、海を泳いだのか?は謎だ。