ネットで買った方が安いかもしれないが、現物を見て買いたい食材があり、天神橋商店街のアジアマートに行くついでに、南森町あたりでランチでも食べようと思った。
西天満公園あたりの飲食関係はハイレベル、サラリーマンのお昼時、近隣住民さんのお昼時に人気って感じのリーズナブルなお店が多そうだ。
では、南森町駅で、1番出口から出るのが一番近い。(1番出口には、降りたホームからは行けない。駅員さんに行き方を尋ねてしまった。反対側のホームから出ないといけないのか。わかりにくいなあ。)
1番出口から地上に出て、上の方を見上げたら、いきなり目に入った。
「大塩平八郎墓所 300m 」の案内板が。
わぁお、なんでそんなの目に入っちゃったかなあ。今日という日に。なんか運命。
飢饉で、江戸末期の腐敗で、百姓一揆ならぬ、武士たる、与力たる、大塩平八郎の乱。
前にもチラッと考えたことはある、関西のムラのどの辺りまで、蜂起して、乱に参加したんだろうか?巻き込まれたのか?と。
警察のような立場の与力なのに反乱。5万冊の蔵書(?)を売って、私費を投じて反乱。
江戸幕府のオワコン化というか。
飢饉が凄まじかった。
腐敗が凄まじかった。
義憤に駆られたのでしょうねえ。
結果、鎮圧されて、参加者は、捉えられたり、戦闘や拷問で死んだり、自決したり、爆死したり、テロリストとして磔刑(ハリツケの刑)になる。
腑に落ちないのは、刑が決まるまで、亡骸を塩蔵して、磔(ハリツケ)の刑にした、という点だ。今の飛田新地当たりで。
塩って貴重な食料じゃないのか?江戸時代の感覚はわからないが、もう息絶えているのに、塩蔵して、保存して、さらすとは。大塩平八郎は爆死したらしいのに塩づけにせずとも。(昔からお役人のすることは訳がわからない。)
自らの立場を攻撃してくるものに対しては、人はどこまでも徹底的に打ち負かしたいという執念をもつのか、旧態の体制の惰性のようなミセシメが続くもんなんだろうなあ。
武士が、農民などなど、大多数の下々のために反乱を起こした。そのインパクトは大きかったんだろうなあと思う。
飢饉は今でも起こりうるし、発生していないわけではない。
お墓というか、記念碑のようなものがある日蓮宗のお寺まで行って、祈ってきた。
現代において、どうか多くの人々が等しく救われますように。政治が私利私欲に走りませんように。反乱が起こる前に対策がなされますように。