初めて1週間ぐらいだけれど、 タロットカードが好きだと言うと、スピ(リチュアル)が好きとか占いが好きである、という風に、人からカテゴライズされるのかもしれない。
タロットカードも、タロットカードリーティングも、勝手な解釈も好きですが、タロット占い好きではないような気もする。切実に占ったことがないし、答えを求めていないから。
だから、プロのお金を要求する占い師になる気もない。
特定の誰かが私についてどう思っているか、みたいなことには興味がない。
自らの判断が正しいかどうか、今日、明日、近未来というような占い方をしつつ、出てきたカードの示すものが何であっても、ありうるお話だなあ、深いなあ、と感心するというパターン。大人の紙芝居のように、誰かの物語として、想像して、客観的にみているのかも。
英語の解説本に書いてある内容を、即興で日本語にして、表現するのが面白い。ヨーロッパ的な世界観でもあるので、それを現実の人生において、どのような場面、どのような局面がありうるのか、人生に落とし込もうとする。(で、結果は、早々に忘れてしまうのだけれど。)
78枚もあるし、全てのカードの含意を、その正と逆を、理解し、解釈できるまでには至っていない。
しかし、心の持ちようが、若干広がっていく。
ただ眺めているだけのタロットカードきっかけで行きたい場所も出てきた。
タロットカードの絵には不思議なものもある。
●The hanged man (吊るされた男)
これは不思議なカードで、吊るされた男が微笑みを浮かべている。そして、世界の民話イラストになっているタロットカードには、眠りの森の美女(スリーピングビューティー)のオーロラをそれに当てている。
糸巻きに刺され、呪いにかかり、糸巻きに吊るされたように眠っているだけで、そこには苦しみはない。
●The fool(愚者)
世界の民話イラストになっているタロットカードには、陸に上がった人魚姫が。
それは賢明な判断だったのかな?ただただ夢見ガチで、人間社会のガチな大変さを知らない愚かさは、悲しむべきなのか、それはそれで幸せなのか。
タロットは、リーディングだ。
ゼミの輪読に似ている。
礼拝の時間の説教の内容は全然覚えてないけれど、牧師さんが言った、心に留めておきましょう、が似合う。
結論は出なくていい、やってみて、ちょっとドキっとしたり、モヤっとすることに意味がある。今のところは。長くハマり続ける、沼るかもしれない。