日曜日, 2月 25, 2024

田舎のボンネットバスの衝撃

イマドキのモロモロ。

ふーん、あっそうなんですねえ、私は好きじゃないけど、好きな人が好きにしてください、って思う物事は多い。

映像で垣間見る、イマドキの戦争、戦時下の世界。あっそうなんですね、では済まない。

本音の部分で言えば、ロシアもウクライナも実際に戦闘に加わっている人達はやりたくない死にたくないと思っているはずで、 ロシアの側の戦闘員は特に戦う意味などなさそうなのに、停戦できない。

その死の直前、その瞬間ですらもスマホで記録ができ、リアルな映像を身内に送ったり公開したりすることも可能な時代なのに、その不毛さや悲惨さが伝送されても、戦争は止まらない。技術進歩で戦争は止められないんだ。

危険地帯から逃げる人たちを乗せるバス、負傷した兵士にリハビリを行う施設、それらが新しくて観光バス風で見た目に美しいことが私には奇妙だ。貧弱でオンボロであれば良いと思っているわけじゃないけれど。

弱みを見せたくないのかもしれないし、美しいものを選んでいるのかもしれないし、全てがそうなのかもしれない。(多分違うだろう。)

大型で見た目に今風なバスを見ていると、技術進歩は平和には役に立たなかったんだなぁ?と思って悲しくなるんだなあ。で、ふと、唐突に、子供の頃、奈良県の田舎に行った時に乗ったボンネットバスを思い出した。

バス停でないところでもお客さんを降ろしてくれていた。

途中でお手洗いに行きたいお客さんがいたら、バスがバス停で待ってくれていた。

そこそこ都会の子供だった私には、それが衝撃的で、素晴らしく幸せなことに思えた。

平和とは、幸せとは、そういうタイプの寛容さのある人々の時間的な余裕、融通が利くことでもあって…。

見た目に最新鋭じゃないけれど、車椅子の方がいらしたら、運転手さんがスロープをセットしてくれて、乗客が文句も言わずに待っている、混み合い過ぎてはいるけれど、京都の市バスもかなり平和に貢献しているんだと思う。

その車椅子の乗客さんは、大きな声で運転手さんに礼を言うわけでなく、バスの中で、タブレットでゲームをされてたりして、当然の権利だから礼を言わないのか、自閉症ぎみの方なのか、何も突っ込めないモヤモヤは残るんだが。

人それぞれ、目に見えたり、見えなかったり、多様な障害があり得るから、地雷を踏まないように、生温かく文句は言わない昨今なんだ。

そういう所にも、独裁者の暴走が忍び寄って来ている気持ち悪さをヒシヒシ感じる。