土曜日, 2月 17, 2024

アマ遺跡を整備するが如く(?)

 政治的な意図などなく、天皇制に反対でもなく、なのだが、小さい時から君が代の歌詞には疑問を持っていた。今も持っている。

サザレ石はイワオにはならんやろ。(よっぽどの熱&圧力がかからないとね。逆はあるけどね。風化して摩擦で小石になるには、すんごい時間がかかっている。岩って、小石からできてないじゃん。そもそもマグマが地中で冷え固まったんじゃないの?)

サザレ石は小石なので、転石だから、コケがむすこともない。

悠久の時を表現したい意気込みはわかるけど、

それ以前に、地球温暖化で、京都の苔も大ピンチらしい。

山縣有朋は苔が嫌いだったらしく、山縣有朋の別荘、京都の無鄰菴は、日本の里山を模しつつ、芝生の庭にしたのに、苔が生えてきて…なのだが、2024年、その苔は大丈夫なんだろうか?芝生も酷暑と日照りが続くと、水やりをしないと枯れてしまう、しまった。

2018年の夏、家を1週間ぐらい開けたら、貼った芝生が枯れてしまっていたので、スコップで剥がして、雑多な植物の植栽エリアにしたら、植物相互の日陰&保湿作用で、ワイルドストロベリーは野良ばえし、沖縄の蓬は勝手に生き延び、土を上から被せられたはずなのに、2月に蕗のとうが出現するようになった。各種球根も宿根草もキッチンハーブ類も陣地の攻防を行なっている。夏のドクダミは元気ハツラツだ。ドクダミは根っこのネットワークがすごい。とにかく、多分、植物が酷暑に枯れないためにも生物多様性が大事なのだろう。

蕗のとうは不思議。条件の良いところが嫌いみたいだ。家の裏の日の当たらないゴムシートの上から石コロを被せてある場所のゴムシートを突き破って出てくる。帰巣本能みたいなものがあり、その場所に蕗のとう自身の思い出があるのかもしれない。夏が暑すぎるから、日陰のシートの下に逃げ込んだのかも。もともとあった宿根がシートの劣化を虎視眈々と待っていたのか?

私が建てたわけでもなく、先代の誰が手を入れたこともなく、長年放置で、電気すら配線してなかった、地震がきたら危険と専門家の診断を受けていた蔵を、たまたま地震がきた1ヶ月前に解体&撤去し終えたその跡地は、適当に固めて砂利を敷いていたわけだが、今、そこを少々開墾して植栽中だ。

砂利を敷いているからではなく、地面をちょっと掘ったら、ゴロゴロ石ころが出てくる。ずっと江戸時代あたりから建物が乗っかっていた地面だから、田畑の土の層があるわけではなくて、いきなり堆積地盤の石ころが出てくる。ガッツン、ガッツン、と。

子供の頃の体験と同じ、デジャブだ。某アマ地方の団地の花壇と似たような地盤だ。そこは地名がヤセダ、という場所だったし、アマ地方の方が土地の色が薄茶で土が痩せていたような気もする。

掘り上げた小石、昔の煉瓦のカケラ、そういうものをどうするか?

先代さんが陶芸教室で先生と一緒に作った壺がゴロゴロあるから、それに石ころを詰めて、重くして、花壇の縁石にするとオシャレだ!と思いつく。石ころを出せば、また、花瓶としても使えるし。

ホームセンターに行くと一番大きなサイズで100円のお安い、セメントでできた重い植木鉢があった。それに掘り出した石ころを詰めて、花壇の縁石にしたり、花壇の中に高低差を作ってやろう。植木鉢の中の石ころが保水をして、気化熱を発生させて、クールダウンにも役立つかもしれないし。(もしかしたら、焼石に水?)

サザレ石を集めて、イワオのような塊にしてやるぞ!(国歌のように。)

先日、阪急京都線の車窓から外を見ていたら、高槻の安満(アマ)遺跡公園に差し掛かった。壺のオブジェがあった。私は壺を並べて、家の庭に、エセ安満遺跡公園を作っているのかも。

子供の頃の某アマ地方、現代の私の庭作り、進歩などなく、やっていることは同じなんだが、たかだか人生うん10年の話だ。

多くの文明人は河川の流域の堆積地盤の上に住んでいるが、掘った石ころを侮るなかれ。

人は、さざれ石のように、変わらず、長く、この世に存在することなどできないのだから。