水曜日, 5月 01, 2019

平成元年のEnglish Jokes

昭和64年になったとたん、伊丹空港から大韓航空でソウル経由でロンドンのガトウィック空港についたら、その日に昭和天皇が崩御されて平成元年になったことを知った。

昭和天皇の葬儀には、エリザベス女王の旦那さん(フィリップ殿下)が出席されて、東京は寒く葬儀の場面で鼻をかんでいたように記憶する。平成元年のイギリスは例年より暖かかった。イースター休暇時のパリは暖かいを通り越して、暑かった。スイスにあまり雪がなくて、マイルドな社会主義のユーゴまでスキーに行くと言っていた人がいたように思う。平成元年に私は地球温暖化を意識した。

当時のイギリス人は、次ぎの年号がどうなったかなんてことには興味はなく、年号があることすら知らないはず。

昭和天皇(Hirohito)の死を悼む日本の群衆を見て、現代に至ってもその影響力が何たるかが不気味であり、日本人は未だに戦時中のままなの?と感じる人もいたように思うし、戦争責任を取らさせることなく天皇が自然な死を迎え、天命を全うしたことに悔しさのようなものを持つ人もいたし、捕虜になった方へのインタビューもあった。

BBCの日本にいる特派員とBBCの英国にいるアンカーさんの間の温度差みたいなものもあったなあ。

イギリス人の興味は、天皇というものが、どこまで、政治的な意思決定をしたのか、現在もしているのか?ということだったように思う。

ホームステイ先の人たち、そのお友達、通りすがりの市長さん、色々な人から質問攻めにあった。

戦後は、憲法の最初に、象徴天皇(シンボル)であると書いてあるし、政治的な実権どころか政治的な発言も禁じられていますし、されません。戦前もその前も、天皇の権威と伝統を利用する勢力はあっても、実権はなかったと私は思いますよ。

1億を超える人口があって、皇居の前に集まっている人々は大勢に見えてもほんの一握り。人が集まったからって、暴動が起こるわけでも何でもないし。

イギリス人の捕虜になった方々の受けた虐待への怒りは理解できるけれど、戦争をしてない国なんてないでしょう?(英国だってそうだと思うけど、適切な知識がなかったから、無敵艦隊を引き合いに出して)日本と比べたら、スペインはめちゃめちゃ悪い。中南米の土地に攻め込んで、オリジナルの言語も奪っちゃって、そう思いませんか?だから、ここにいるたった一人の日本人に厳しく質問攻めにするのは、アンフェアです。

と、私はキレました。

すると、私達は、どこの国の人にでも、こんな調子だから、気にしないで。アナタの説明は、ドイツ人の英語よりもわかりやすいと、フォローされた。

昭和天皇の崩御よりも、宇野総理の辞任の方が私にとっては、困った事件だったかも。

テレビのスイッチをつけると、BBCが立ち上がるようになっていて、朝一番、いきなり「ゲイシャー」と解説音が聞こえてビックリした。浮気された本妻さんは、支援者さんを前にして土下座されるし。

平成元年には、当時の小和田雅子さんもイギリスのオックスフォードにいらした(はず)。

英語の授業中に、皇太子のお妃の話になり、日本人の女の子が、お妃候補は、頭も良くないといけないし、誰でもいいわけじゃないし、ややこしい儀式もしきたりも行事もあるし、監視されて自由はないし、なかなかなりたい人はいないんだ。お妃の候補に名前が出ると、相手がいれば、さっさと結婚してしまうか、海外に留学したりするんだよ!と英国人の先生に説明をした。

すると、その先生は、「だから貴女たちは、ここにいるわけね?」と言い、

日本人全員、ハッハッハッ(苦笑)ということになったんだ。

雅子様には、お元気になって頂きたい。なられると思う。

そして、スペインのサンチアゴデコンポステーラのレストランで、サイン帳面を開いて見せられた「徳仁」というサインは、本当に今上天皇のものなのかどうか?誰かが成りすました可能性はないのかしらん?気になっている。

平成最後の日には、大正、昭和期をさかのぼる小さい旅をした。

阪急京都線が京阪電車であった頃の駅名が、茨木町、高槻町、であったことに驚いた。なぜだ?
現在の茨木市、高槻市という駅名も変だが。当時の国鉄、現在のJRの駅と混同しないようにそうしているのか?それだけなのだろうか?

昭和期に親戚や家族でよく行った、戦前からあるレストランのランチを夜食べることができて嬉しかった。美味しかった。

だめもとで窓口に行ったら、平成最後のラスイチの神戸港クルーズ船に乗れて良かった。船上から、エンジン音にまぎれて、思いっきり♪そして、神戸、を歌ってやった。

♪そして一つが終わり、そして一つが生まれ、一つの元号が終わり、新たな元号が始まる。

そこよりも、実は、♪船の明かり映す、にごり水の中に、靴を投げ落とす!等々の淡々としていて過激な歌詞が好きなのだが。

私自身に、そういう、相手を抹殺したいような、死にたいような、生まれ変わりたいような気持ちになる、苦い経験があるわけでもないのだが。今のところ。

それから、南京街の入り口の近くに蘭州牛骨麺のお店が開店準備中だったことが印象的。5月1日にオープンするようだ。

広東風日本風の甘めの中華が主流だった南京街に中国東北系の店も増えた。しかし、伝統的には、中華街というか南京街。日本人の実父が、戦後すぐ、華僑の人たちに同胞!と寄ってこられたので、空気を読んで、どさくさで、一緒に日本の敗戦を喜び合った(らしい)南京街。

令和の初日に蘭州牛骨麺屋ができることに、私は、より新時代を感じちゃったりするんだけど。中国、中国人のそもそもの現地のダイバーシティーあるある。

平成元年には、テレビを見て、スペイン人の友達は、天安門事件で戦車の前に立ちはだかる中国人に感動していた。欧州の価値観は終わる、というようなことをつぶやいた。(あたっているような、あたっていないような。)中国在住の日本人は中国で何が起こっているのかがわからず、イチイチ日本に問い合わせる情況だったらしい。
オイルマネーはないがプライドの高いエジプト人はワレワレは中国みたいに貧乏ではないと言っていたが(その時から、それはちゃうで、と私は思っていた)…。

全てのイギリス人に認知されているわけじゃないだろうけれど、平成元年においても、日本人と言えば、カズオ イシグロ。外国人に英語を教えるイギリス人によると、イギリス人は、ビジュアルアートよりも、理屈っぽい文学が好きなんだそうで。(その人がそうであるということでしょうけれど。)カズオ イシグロは、国籍は英国人だし、日本人というには、あまりに流暢だが。

平成元年の日本は、やばいイケイケだったし、世界は東西冷戦崩壊の直前、中国の成長の余地はバリバリあって、中東はパレスチナとイスラエルの問題はあったし、タッチーなイスラムの怒りを買う事態はあったけど、それは個別のテロのレベルで、大量の虐殺はなかった。

平成元年よりも、今の方が閉塞感があるというか、難民の流入による鎖国性が増している。新たな壁が生まれている。ニューノーマルな異常気象による災害も戦闘も殺戮も独裁も増えている。断然に。で、平成の初期における新時代の期待はぬか喜びに変わっている、ような気がするんだなあ。