火曜日, 4月 30, 2019

1992年のゴールデンウィークも寒かった。

今日は午後から本格的に雨。
この時期とすれば、寒い。

夜9時ごろに、食材を買いにスーパー行ったのだけれど、お客さんの数があまり多くないことは、連休だから、仕事帰りのお客さんが比較的少ないであろうから、そんなものかもしれない。でも、売れ残っている品々の数がいつもより多いような気がするなあ。

お天気が寒くて、景気も冷え込んでいる。そんな気がする。

ふと、私が、福岡県に引越した時のことを思い出した。
あの時の、予想外の寒さと孤独と寄る辺なさを。荷ほどきをする間も無く、風邪をひき、辛かった。

北側に山があり、南側に海がある。

そういう位置関係に、脳内コンパス?三半規管?が慣れ親しんでいるから、慣れなかったのか?

福岡の人々のキツさのようなもの、オレオレな感じ、ストレートな負けん気のようなものが苦手だったなあ。

某病院の鬼瓦のような顔をした総婦長さんの暴言などは、更年期だったのかもしれない。組織内の内紛の矛先を私に向けられましても…。
でけへんことは、かくかくしかじかでできまへん!と言えば、わかりました、で済むことを、無言でやりすごすか、怒り出す人が多かった気がするなあ。嫌だ九州人!

それは、その地に特有のものなのか、バブル崩壊の後の下降局面によるものなのか、たまたま、出合った人々にそのような人が多かったせいなのか。

山は北に、海は南に。

佐賀県に住まなかったこと。
ここにしよう!と思った賃貸マンションがタッチの差で誰かに借りられてしまったことが残念。

実は、福岡市も北九州市も飯塚市も久留米市も、苦手な人が多かったなあ。Away感がぬぐえなかった。

福岡にいて、仕事もできて、大きな自然災害にも見舞われず、ラッキーだったとも思うけれど、阪神大震災で壊滅的な被害があった阪神間を見るのも、オウム事件を見るのも、311を見るのも、熊本の地震を見るのも、たまたま関西にいて朝倉の水害を見るのも、たまたま福岡にいて大阪北部地震を見るのも、辛かった。

心をどこかに残したまま、何にも注力できてない無力感。

それは、私の行動力のなさがいけないのでしょうが、そういう無力感にさいなまれた平成だった。

大学にうっかり入れてしまえたことも、結果的に、とても孤独で、誰とも手を組みたくなかった。スムーズに息ができてなくて、思いつめちゃって、行かなかったけれど心療内科レベルまで追い込まれたし、心晴れることにはならなかったな。(そういう人は案外多いはず。)

社会の有り様に、方向性に、賛成できなかったから、社会的な地位の向上や収入増には、あえて結びつけなかったけれど、大きな大きな失敗をしないためのネガティブな教訓を、低空飛行でもやっていけるメンタルを養う、浮かれない、踊らされない、という意味では良かったのかもしれない。

唯我独尊かもしれない。それでもいいよ別に。

平成はずっと不景気。今後もそう。オワコンって言うのかな?それは認めた方がいいと思うんだな。

変わらない価値、変わらない安らぎ、バッズ(迷惑財)をグッズ(価値財)に変換しつづける愚直さ、地味でエコな生活、そういうものと共に、「案外楽しく」余生を費やしていきたいと思っている。

「令和」に大きな希望はないけれど、「平成」が終わってしまうことに別段残念感はない。うん。

九州の若い人たちは好印象であることが多い。最近、イケメン比率が高くなってるし。

どこででも、ジジイとオバハンは苦手なのだ。そういうことなのかもしれないが。