2015年の事だったと思う。
蔵の重い扉を開けると二度と閉まらなくなった。蔵の重さと地盤沈下によって、蔵のたてつけの全てがゆがみまくっていた。立派に思えたごっつい梁はその両端が腐っていた。(これは危険度レベル的には最悪なんだ。細い梁の方がましなぐらいだ。)
大工さんにお願いして、重い閉まらなくなった扉の外に、薄い板で扉をつけてもらい、南京錠をつけてもらった。守るべき大切なものがあるような気はあまりしなかったけれど、中に勝手に猫などなどが侵入してもいけないから。
電気の照明がなく、というか電気配線がなく、そこからも先人の片付ける気のなさがわかった。お昼間でも懐中電灯の明かりにたよらないといけない。中に入ろうとすると、入り口から床の上から、ゴミや空き箱や未開封の後に中身が腐敗しちゃったような食品の箱、贈答品の箱、古新聞紙、壊れた家電などに行く手を阻まれるような状態で、かび臭いようなホコリの匂いがして、それらの障害物を大股でまたがないと、先に進めなかった。
ふと、入り口右手の棚の上の木箱に書いてある文字を見て驚いた。
「神武天皇立像」
ええっ?何があるの?何するもの?神事かなにかに使うの?なんか凄く凄そうだが。
ホコリまみれの木箱を、床の上に散乱していたゴミ越しに、手を伸ばして、棚の上から床の上のゴミの上に下ろす。
昭和弐年に購入したの?90年前のもの?いや、神代の昔のもの?
木の箱には、オカモチのようなシャッター状の開閉板がついていて、板は閉まっていたけれど、時の流れの中で、木箱の外側だけでなく、その内側までにも、ホコリのようなものが吹き込んで、たまっているようだった。ザラっとした、ホコリの手触りと、カビのような、ホコリの匂いがした。
木箱の中の神武天皇と思われるお人形の顔には、和紙のようなものがかかっていて、それをはずして、出てきたお顔がとても端正だった。
髪の毛は長く垂らしていて、毛先がモシャモシャに絡まっていた。その頭髪にも、ホコリが付着していた。
お衣装は因幡の白兎に出てくる大国主命(おおくにぬしのみこと)みたいな感じで、白地に地模様があった。
お顔のあまりの端正な男前具合に感動してしまった。(これは残さねば。)
お人形の製造元は、今も京都にあって、そこに問い合わせて、由来などを聞いた。製造メーカーさんですもの、当時としてはめずらしいものではない、とのことだった。(売るほどにあったわけですので。)当時は時勢的なトレンドとして、五月人形は、神武天皇か楠正成かであったらしい。
お顔があまりに端正で男前だったから、このお人形が珍しいものでなくても、私は好きだ!と思った。で、髪の毛についているホコリとモシャモシャぶりが気になって、なんとかしたかった。
で、神武天皇の肩に厚手のバスタオルを巻き、衣装が濡れないように、髪の毛が脱色しても衣装が汚れないように、神武天皇の髪の毛をぬるま湯ですすぎ、うすいシャンプーで洗い、すすぎ、タオルドライをして、ドライヤーのホットとコールドの風を交互にあてて、その髪の毛を乾かしてみた。
おー!髪がストレート、ツヤツヤ、サラサラヘヤーになった。
衣装についたホコリをケルヒャーで吹き飛ばしたり、薄い中性洗剤を染み込ませたぬれタオルで拭いたりした。
やったぁ!お人形の男前度がさらにアップ。
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今日、なぜこれを、今頃になって、書いているかというと、神社で人形祭りをしていたのと、人形買いという落語を聴いたから。
人形買いに出てくる人形は、神巧皇后と太閤秀吉。そのうちのどっちを店子グループで共同購入するか。
お値段が同じ、それらの人形のどちらを買うべきかに関して、講釈を述べる占い師と講釈師がそれぞれ占いと講釈の御代を要求した。
せっかく集めたお金よりは安く買え、差額のお金で幹事がお酒をきゅーっとやる、というつもりだったのに、差額がなくなり、目論見が外れてしまう。
占い師も講釈師も、代々続かなかった太閤秀吉よりも、神巧皇后の人形を推す。
最終的に、神巧皇后のお人形を届けに行くと、相手が神巧皇后のありがたい薀蓄を述べ始める。で、これ以上の講釈代を請求されては大変ということで、講釈代は、「おため(その受け取ったお人形のお返し)」から差し引いといてくれたらええで、というオチ。
なのだが、
加藤清正+虎の人形の方が、お値段が高かったのは、その作りによるのか、時代のトレンドによるのか?
これはいつごろの噺なのだろうか?江戸時代かなあ。
その時に神武天皇とか楠正成の人形はあったのだろうか?
神武天皇立像が五月人形として人気だった時代に、神巧皇后とか大公秀吉の人形も存在したのだろうか?
色々なことをグルグル考えながら、落語を聴いていたから、あまり笑えなかった。これは、落語家さんの和芸の問題ではなくて、私自身が神武天皇立像と呼ばれるお人形のお顔立ちに心を奪われちゃったせいなのだろうと思うのだが。