まさしく事務的な用事で、となりまちに出かけた。
その用事の前に商店街でコーヒーでもとお店を探したのだけれど、午前11時だったので、開いてなかった。あと30分ぐらいは時間を潰そうと歩いていたら、商店街を抜けてしまい、少し歩いたら、
あらぁぁぁぁ、桜が咲いてる、綺麗。公園かな?いやいや、JTの生命誌研究館の門が目の前に。これはラッキー、ずっと行きたかったんだ。
桜の季節は敷地内のお花見スペースを開放していて、春休みの親子よりも大勢の老人施設のご一行様が施設のお車でおこしになっていた。まさしく脊椎動物の人類の生物誌、命の輝きだね。遺伝子が、ほぼほぼ正しく複製できているんだね。だから、僕らは生きているんだ。(ざっくり、このような解釈でいいのかな?)
私に子供がいたら、いなくてもですが、いたら絶対に、子供と一緒に生命誌研究館にいりびたりそう。子供は意味がわかんなくても、モノの名前などを覚えるのは得意であることが多いと思うから、アミノ酸全種類とか、ウイルス、バクテリアなどの名前を覚えたりして、ややっこしいゲノムに親しめそうだ。
生命誌 年刊号vol92~95 和 なごむ やわらぐ あえる のどまる 2018年11月1日 を購入。
めっちゃタイムリーだ。万葉集よりもタイムリーだ。
やわらかに和して同ぜず
冒頭のメッセージから素晴らしい。
読み進み、ゲノムや「のどまる」に関しても、ちょっとでも理解を深めていきたい。
商店街で、メッチャ美味しい定食のお店と年季の入ったかしわ(鶏肉)屋さんを見つけた。
長岡京の長岡天満宮の桜はまだ5部咲きだった。元領主の菅原道真ではなくて、2020年の大河ドラマがらみで明智光秀と細川ガラシャで盛り上がる気マンマンのようだ。
夕方には八坂神社と円山公園に行った。インバウンドの外国人さんが多いなあ。車道にはみ出さないように四条通りを歩くのが大変だ。ゆったり歩けた昔に戻して欲しい気がしなくもない。
混んでいたけれど、円山公園のしだれ桜は、特別に綺麗。ライトアップされて妖艶な美しさがあるわ。
人が多いから、人ゴミを避けて歩いていたら、「いもぼう」があった。静寂を求めて入ってしまい、念願の海老芋と棒ダラのたいたん=いもぼうの定食(2700円税込)を食べることができた。
ずっとずっと「いもぼう」が食べたかったんだ。今年の年末までには食べるつもりでいたんだ。真夏にも「いもぼう」はあるけど、大きい海老芋ではなくて、小芋になるらしい。
今年の年末には、乾物の棒ダラを、水でもどして、煮て、海老芋と炊き合わせるんだ。
「いもぼう」の海老芋は、時の宮様が九州にお出かけされた時に入手した唐芋を円山公園あたりで栽培したら上手く育ったことがその起源。地産地消だったんだ。
海老芋のアクが棒ダラをやわらかくし、棒ダラのコラーゲンが海老芋の煮崩れを防ぐらしい。出会いモノなんだ。内陸の京都に運ばれてきた貴重な動物性たんぱく質の棒ダラと現地調達の海老芋の組み合わせ。
大きい海老芋の中心まで柔らかくて、味がしゅんでいて美味しかった。
煮しめたような濃い味ではなくて、きび砂糖系のやさしい甘みだった。流石、なるほど、なるほど。
参考になりました。
で、知恩院の方に抜けて帰ろうとしたら、知恩院のまわりの夜桜の紫色ががったライティングの美しさ、浮かび上がる知恩院の妖しい美しさに息をのんだ。
今日は空気が冷たかったから、凛として見えた。
無計画に行き当たりばったりだったけど、モロモロがラッキーだった。
何かに導かれるようにラッキーだった。