日曜日, 4月 28, 2019

暗渠になった川の代わりに買ったのが…

去年の夏のことだった。

30年前に交流のあったというか、陶芸サークルのメンバーで、映画の試写会のチケットを毎回横流しして下さったり、ギリシャ彫刻風の女性の顔のある傘立てとか靴べら立てにできる陶芸作品を無理やりもらったりした(どちらかと言えば)ダンディーなおじさんが、パリの風景の水彩画の個展を開いているということで、行って、30年ぶりに再会をした。

陶芸も、アーティスティックで技巧的にもお上手だったけど、水彩画も上手。美大とか出てないし、美術さんでもなく、お絵かきの先生にもついてないらしいが、細部までお上手に描けてる。パリに1人で行って、ずっとアパルトマンに泊まって暮らして、フランス語はできないと思うのに、パリの街角で絵を描き続けていただなんて、内心、やるやん!おっちゃん、という尊敬の念の希薄な賛美の気持ちが湧き上がっていた。

あっ!これ、天使がいる。
あっ!これ、水の構図がいい感じ。

古い家の近くの川は暗渠になっちゃってるから、水が足らない気がするから、これを古い家に飾ったらとても合うと思うんだ。気がよさそうだもの。コレ買わせて頂きたい。

というようなことを言い、

あなた、性格まったく変わらへんなあ、と言われた。(その意味は理解できてなかったけれど、老けたと言われるよりは、変わらない、と言われてよかったかな、ぐらいに思っていた。)

お金を振り込んで、送ってもらった。

とりあえず、リビングの壁に飾っていて、うん、天使と水、桜の花も咲いていたんだなあ、いい絵だなあ、と思っていた。

テレビで、パリのノートルダム大聖堂の尖塔が炎上して焼け落ちてしまった衝撃映像を見て、あれっ?これあの絵に似ている、と思った。

その水彩画をしっかり見てみると、もしかして、この絵はノートルダム大聖堂をメインに描いたものではないのか?ノートルダム大聖堂の正面から描くと、距離が取れないから、そそり立つ正面の壁で奥にある尖塔が見えない(描けない)ということになる。

かつて、ノートルダム大聖堂を正面から描いた版画を買わなかった。その時は、パリのカフェの版画を買ったんだ。

セーヌ川をはさんで対岸から描くとノートルダム大聖堂の尖塔も含めて描くことができる、ベストアングルの一つで、ノートルダム大聖堂と言えば、この構図、というものだった。

今となっては、作者の貴重な思い出の一点ものなのに、


私が買ってしまって申し訳ない。
ノートルダム大聖堂を精緻に描いているのに、そこを評価せず、セーヌ川に浮かんだボートにある広告の天使に反応してしまって申し訳ない。
天下のセーヌ川を暗渠のI川の代理にしてしまって申し訳ない。

言われてないけど、作者に返却して!と言われたら、どうしようかな?お金返してくれても、返したくはないなあ。気に入っているんだ。

私は、建造物と自然景観との調和に心奪われるようだ。パリの桜も咲いているし。

川は暗渠になっても、その上が緑の散歩道になっているから、悪くはないし、抜いても抜いても生えてくるドクダミとか、砂利をのせたシートの脇から生えてきた蕗を見ると、土地の、土壌の歴史に心躍る。

火事や、地震や台風などの自然災害は大嫌いだけれど、どんな地面にも生えてくる土と水と光から生まれる飽くなき変わることのない自然の逆襲が、偉大な建造物よりも好きなのかもしれないな。