月曜日, 4月 01, 2019

インターネット的なバーチャルな時代が始まった平成

上手に時代を総括できるほどに、出来事や物事に関心があるわけでも、出来事や物事を俯瞰できるわけでもないのだけれど。

平成の、日本国内の流行モノ、平成のヒットチャート、テレビ視聴率、凶悪事件、自然災害などなど、そういうものに注目しても、点と点、あるピークを指摘したに過ぎないような気がする。

趣向品的な流行モノは、飛びついた人が他と比べて多かったモノというだけで、ヒットしたからと言って、全ての人々の暮らし全体に影響を与えたわけではないから。

平成という年代、1989年1月から2019年4月末日の中で、その後の連続性を牽引するような、構造的な大きな変化、ゲームのルールを変えてしまった大きな変化は、インターネットの普及と2000年のamazonの襲来じゃないかな?と個人的には思う。

Yahoo
Google
YouTube

ヴァーチャルの台頭。

各種モバイルの普及。

中国の台頭。

異常気象の深刻化。


私がインターネットが楽しくて生産的だと錯覚したのは、ミレニアム前ぐらいまで。PCでインターネットのホームページを観ていた頃までだ。

その後は弊害も気になって、民主的なツールのようで、winner-takes-allの側面もあるし、扇動に利用されやすい媒体だし。デファクト必要悪のようなものになってきた。

ネット外のリアルを求めたい。つながらない自由は貴重だ。

AI
IOT
VR
顔、個体識別認証
ドローン
車、兵器の自動運転
による安心と恐怖の増大が追いかけっこ。

ゲノム編集って、遺伝子組み換え、よりもカジュアルな響きすぎて怖い。

医療の技術が高度に進歩したけれど、

この世の沙汰は、ますます金次第。

平成の次ぎの世は、平成の例を踏襲するのであれば、25年ぐらいの長さになるのだろうか?
医療の進歩により、人間の判断能力や身体能力が格段に長寿命化することになるのかもしれないから、もっと長いのかもしれない。

2018年は明治150年。
2025年は昭和100年。

生年月日の欄のM T S H のMが消えてなくなる。NEXT平成。昭和64年まで続いた昭和のSは、年号集団的には、まだまだ一番多くありそうだが、そりゃあ、消えてなくなる日も来るだろうね。

1970年万博の跡地へのアクセスが良いのが理由にすぎないのだけれど、モノレールで万博記念公園に行き、まだ3部咲きの桜の花を見るついでに、元鉄鋼館のExpo70記念館(だっけ?)に行ってしまった。

万博をリアルタイムには観ていないことがわかる20歳代、30歳代ぐらいの人たちが、70年万博のジオラマを観ながら、息をのんでいる、圧倒されていて、凄-い、と感じているのを感じる。

何度映像を観ても、道徳的に?良い悪いは別として、70年万博は凄い。パビリオンも凄いけれど、会場を一周するモノレールがあり、万博が終わるとパビリオンの建物もモノレールも壊して跡形もなく消してしまうという、無駄がペイしたことが凄い。(上海万博はいまだに残しているらしい。それが普通だ。)

で、3月31日の夜に、公共交通機関であるところの大阪モノレールが、ポイント故障で全面ストップしたらしいことを阪急の車内アナウンスで知った。

で、思う。1970年から2019年、約50年経って、手触りと形のあるモノの安全性安定性は進化したのだろうか?

たて続けに起こったボーイング737の墜落事故。

70年万博のスローガンは、人類の進歩と調和。

約50年経って、人類は調和してない。

単体の技術が進歩しても、各々の技術が人類の安心安全のために完璧に調和しなけば、進歩した技術が人類を滅ぼしてしまうだろう。

平成の時代に、平安平和成り難し。

平成の日本国内の一大事件を上げるなら、福一という人災。原爆にやられ、原発にやられ。
有識者の風情と声を荒らげる官僚さんに萎えてしまった。