水曜日, 3月 20, 2019

和の心なのか?

2歳の頃から、50年以上、自宅のお手洗いが水洗で洋式の便座だったので、和式のお手洗いというものは、昔に建てられた公共の場所だったり、山の中の不便な場所、下水道の施設がない場所のお手洗いという認識だ。

昭和の末期の昭和57年、1982年に「お尻だって洗って欲しい」で、TOTOのウォシュレットが出来て、すぐにウォシュレットを導入したと思う。

乾燥機能は不要だと思うけれど。

勝手に閉まろうとする便座の蓋に背中をしばかれ続けたことがあるので、蓋が自動で開閉する機能は故障しがちであるし、蓋の上に物を置きたいという局面もあり、ない方がいいと思うけど。

世の中には色々な選好の人がいるものだけれど。

平成の時代になって建てた家に、あえて和式のお手洗を作った人の気持ちはわからないなあ。変人としか言いようがないなあと思った。へたれで弱っちいのに。

だって、高齢になったり、体調の悪い時なんか、和式のお手洗って、身体にきつくないかなあ?股関節の鍛錬にはいいのかもしれないけれど。

最近、まさかの和式のお手洗に関して、更なるショックなことがあった。

その場所は、10年ほど前に、大手ゼネコンさん施工で建てられた、自然環境や採光や長い伝統ある建物との雰囲気の継続などに配慮した建築なのだが、最近、お手洗いの改修工事をしていた。恐らく全て終わっているだろう。

その改修が、和式のお手洗の洋式化であると聞いて、ひっくり返りそうになった。

だって、10年前に建てた時点で、洋式になっているのが、世の中のスタンダードだと思うから。

で、和式化した理由が、誰が座ったのかわからない洋式便座に座れない!との意見が多数だったらしい。(ほんまかいな?信じられん。そんなことで海外で、観光や仕事や生活ができるか?)

であるならば、洋式メインで、和式も1つは配置するか、潔癖症の方が除菌シートを持ち歩くか、すればいいんじゃないの?(なんで、そのように説得できなかったのだろうか?)

お手洗は洋式化しないと、当然、選ばれませんし、そのための追加工事費用や和式のお手洗に耐えた人々の苦労、そのために他所に行っちゃった人々による損失を考えると、わけわかんない、時代錯誤な潔癖症って、罪深いわぁ、迷惑至極と思った次第だ。

ゼネコンさんも、なんでちゃんとしたアドバイスができなかったんだろうか?大手は丸投げなのかも。(大奥の皆様は、どんだけの迫力で和式を要求したのだろうか?)(どうせまた、改修工事があるで、その時に金取ったらええで、という魂胆ですかねえ。)

どんな議論がなされたのか?私がその方針決定の場に居合わせたのなら、今後、改修するんだったら、工期がどのぐらい、いくらいくらかかりまっせ!うん年後、そんなことでやっていけるんですか?今から洋式にしとかなあきませんよ、と説得するけどなあ。

他人が座った便座が気になるんやったら、てめーが、除菌シート持って来いやー!と言ってやったのになあ。

偏差値下がったってか?そんなもん、どうでもイイデスハンソン。

もとからの地頭の悪さと(他人の迷惑を考えることができない)利己的な狂信的な視野狭窄が問題かと。

そんな人たちがいなくなっていることを節に期待したい。いなくなっているだろう。