日曜日, 11月 04, 2018

映えの横道


海岸に行っても、人は鳥居とか夫婦岩とか、そういうモニュメント的なものと、海と空と、あるいは、それらに加えて自らがフォトジェニックに見えるような画像を撮って満足しがちだ。

客観的に人を眺めていると、本当にそんな感じだ。

潮の干満によって、潮のひいた干潟だったり海中に鳥居があれば、鳥居を中心にした画角で画像を撮る人がほとんどだ。
鳥居があるところにしか人は行かないと言っても、過言ではないかも。

私は冒険家じゃないし、体力に自身もないし、断崖絶壁には行けないけれど、海岸に行ったら波打ち際は見てみたいし、浜の生物も探してみたい衝動に駆られるから、干潟だって石コロの上を選んで歩いて、浜辺を海に向かっていく。

干潟は面白い。

とりあえず、赤い鳥居をくぐって、その先の干潟も歩く。

人や道路から遠ざかっていくと、潮の引いた干潟には打ち寄せる波がないから、波音がないから、とても静か。干潟の生き物が「ピチャ」っと飛び跳ねたような音だけが聞こえる。干潟の海水だまりを覗き込んでみると、ヤドカリがいたり、私が近づいてきたことで、素早く泥の中に身を隠した生き物が作ったのかな?泥の表面に穴があったり。

「ピチャ」

音がした時に、キョロキョロ探しても、たぶん手遅れ。泥の中に身を隠した生き物の姿を目視で捕捉することはできないんだろうなあ。泥の中の穴に指をつっこんだり、足で蹴ってまで、生き物の正体を探り出すのはかわいそうだし、きっと、私の足が泥にとられて靴が泥まみれになったり、石に躓いて、転倒して、痛い目にあうだけかも。

そう思いながら、貝殻まみれの石の上を選んでいたら、バランスを崩して、その下の泥を踏んでしまい、靴の底にいっぱい泥がついた。泥の少ない鳥居の下まで歩いていって、水たまりで靴底の泥を洗った。

一見平坦そうでも、石コロゴロゴロで泥もある干潟を歩くのは大変だ。

電柱が海まで続いていて、トラックが停まっている桟橋のような道を歩いて、その先の海を見てみる方が楽そうだし、簡単に海に近づけそうだ。誰も人がいないけど、絶対にそっちの方が海の本質に迫れそうだ。

その道は、歩き易くて、少し先に鏡のような海と空の境目が見えて、穏やかだった。

もうちょっと先を歩くと、鏡のような海から干潟に向けて、潮が少しづつ少しづづ溢れてぶつかる場所があって、打ち寄せる波じゃなくて、ヒタヒタと格子柄になる潮の模様ができていた。昨日ネットで調べたら、今日は若潮だったし、まさしく、若潮が生まれている。(若潮って、そういう意味じゃないのかもしれないけれど。)

小川のせせらぎような音を奏でる海の潮。

その向こう側の鏡のような海には、漁をしていそうなボートが浮かんでいた。
そのもう一つ向こう側には、海苔養殖の杭のようなものが並んでいた。
そのもう一つ向こう側には、淡いクリームのようなピンク色のような海と空の境目があって、風がなくて、空は青く雲は白かった。

そういう映えの横道の終わりと海の始まりと空の広がり。

そういうのは、気象条件と月の引力によって、その時だけのものなのか、その場所ではありふれたルーティーンなのか、わからないけれど、とっても魅惑的な絵で上品な音だった。