木曜日, 11月 01, 2018

mimicry or rather imparsonation or simulation or ...

春も夏も、クリスマスもあるけど、たまたまハロウィンの時期に海外にいたことがなくて、日本以外のハロウィン体験がない。

私の記憶の中では、日本でハロウィンが認知され始めた頃は20世紀の終わりで、ちょっとした扮装をしたりしなかったりして、Trick or Treat と言いながら、お菓子をもらい歩く主に子供のお祭り、だったと思う。

私がハロウィンでやってしまうことは、仮装でもコスプレでもなくて、擬態。感じ取った背景とか気配に同化する感じ。で、ちょっと目立つ。

個人的にハロウィンが好きなのは、10月に入って、涼しくなって、虫が鳴いて、彼岸花が咲いたり、お彼岸が来たり、中秋の月が輝いたり、オレンジ色の金木犀の花が咲いて、夜の空気が甘くオレンジ色になるような気がして、ハロウィン的な色彩が私個人の心もようとマッチするから。まもなく寒くて暗い冬がやってきて、枯れる命や息を潜める命もあって、私にとって、あまり遠くないあの世と交信しつつ、生と死と再生に想いを馳せる。

個人的には、日本のちょっと昔のお葬式の一連の手間と、(あまり)心の無い金銭及びあまりありがたくもない供養の品のやり取りと、仕切り屋の叱責やタカリや、人間の序列、お葬式において自己アピールをする諸団体と人々と葬式寺とお坊さんなどが嫌いだし、お盆の時季は暑いし、よりによって暑い最中にあの世から人は帰って来ないと確信しているので、ハロウィンは、まとめて故人「万霊」が帰ってくる、秋のお盆イベントという位置づけ。

ちょっと昔の昭和のお葬式の写真を見たりすると本当にぞっとする。どれだけの人々がお家の中にずかずかと入り込んできたのか、どんだけ町内ぐるみだったのか、がわかるから。生きている人間が、ストレスで早死にするイベント。(しない人もいるけど。)

生きている間は、故人に冷たくしたり、仕事を押し付けたりしたくせに、死人に勲章をあげたり、勝手に褒め称えたりしないで。(そんなん意味ないし。)

私自身は死んだら、私の遺体は、どうなってもいいな。一番エコな、CO2排出の少ない方法で消えてなくなることができればいいと思っている。棺おけすらも要らないわ。自治体の環境センターの動物火葬と一緒でいい。燃焼効率の一番よいやり方で結構です。制度的に可能であれば。

本音では、墓標などは不要だけれど、土に返ることができる布にくるくる巻かれて、生分解されて、土に返りたいので、火葬よりも土葬希望。炉で一体一体火葬して、骨上げのために炉を冷却させる、という、私には無駄と思えるエネルギーを使う、あまりエコロジカルとは思えない日本の火葬。日本人って骸骨にもなれないんだもんなあ。仮装して、非日常気分で騒ぎたい云々ではなくて、擬似骸骨体験がしたいから、私はハロウィンが好きなのかも。

諸外国もそれぞれに、お葬式はややこしんでしょうけれど、日本の従前のお葬式は、心労多く、ちっとも故人を偲べないし、最小限の近親者だけでお見送りをしたいな。

その方がずっと美しいから。