多分、野良猫ちゃんが、そこで爪とぎをしたせいなのか?一部、ところどころ茶色いままのところもあるけれど、酷暑中の散水の甲斐あって、芝生がふわっふわに伸びてきて、ついでに、不滅のドクダミも伸びてきている。安い芝刈り機を買って、芝とドクダミを一緒に刈らなくっちゃ。
ばっちり美しく刈られていなくても、刈られていないから、芝生はいいものだ。
芝生と同じ緑色の細いバッタが芝生の中に埋もれていたり、芝生に乗っていたり、飛び出てきたりすると、ほのぼのとした幸せを感じる。大量発生じゃないけど、色々な場所にいる美しいバッタ。
私は鳥(チョウ)は苦手なんだけれど、蝶とか虫は好きなんだ。自然の健全性の一部というか、虫がいてもかまわない。刺さない虫であれば。
芝生にいるのは、本当に綺麗な色のバッタなんだけれど、なんという名前のバッタなんだろうか?名前がわからない。いかつい殿様バッタではなさそう。
時々野良猫が潜んでいた葉欄を移動したりして、猫に優しい茂みがなくなったから、芝生を貼ったんだ。近所に猫嫌いさんがいるし、野良猫ちゃまに、煮干をあげたり、お声かけをするのもヤバイ感じだから、よ~し、芝生をはってあげれば、快適だろうと思ったんだが。
それでよかったんだかどうだか?たまに芝生の上に猫がいると嬉しい。
私は、一緒にいると楽しいだろうなあとは思うけど、犬も猫を飼いたいとは思わない。
私は、そこまで優しくないし、人であれば、それが義務でもあるけれど、動物の病気や死のお世話をするのが、動かなくなって、冷たくなってしまう死に付き合うのが、不自然な気がして嫌なんだ。野生的な動物の尊厳に人間によるお世話はそぐわないというか。きっと動物は死の瞬間は、看取られたくなくないんじゃないの?と思ったりする。
ニフレルに展示されているお魚、鳥、ホワイトタイガーは美しいとは思うし、楽しいんだけれど、生きている鳥と同じ種の鳥の剥製が展示している様子には、鳥の気持ちになって、抵抗があるなあ。鳥のメンタル的には、自らと同じ形態の鳥(の死骸)が、自らの狭い行動空間にあるということに、不快感や不安感やムカつきがないのかなあ?彼らには、何らネガティブな影響はないのだろうか?
私は、自由に飛び跳ねているバッタの、小さいのか広いのかわからない芝生世界が好き。芝生が好きすぎて、芝生プリント生地がバッグを作ってしまったぐらい好きだ。