水曜日, 8月 29, 2018

チルドレン

さくらももこさんが、平成最後の敗戦の日、8月15日に53歳でお亡くなりになったと27日にニュースで知った。
テレビでお顔を見たことがあるような気がしていたけれど、それは気のせいだった。

本名もお顔も非公開で、ネットの記事かなんかで、PTAでも(さくらももこさんであることが)わからなかった、とあったから、結婚されていて、お子さんもいらしたのかな? 53歳だったら、それも不思議じゃないけれど。一人の人間としての顔や生活を表に出さずに、「ちびまる子ちゃん」と「もものかんづめ」をひたすら創作されていたわけなんだ。
結果として、(実像に関して)裏切られたのか?(作品を)裏切られてないのか?不思議な気持ち。

ちびまる子ちゃんのテレビアニメは、毎回見ていたわけじゃないけど、放送が始まった1990年は昭和じゃなかったね。

色々な未知の現場で、ぶっつけ本番で通訳をする羽目になり、仕事のストレスと緊張感が半端なかった。結婚もしたんだけれど、うっかり、結婚生活は気分転換になるよ、と本音を言ってしまい、旦那を凹ませてしまった。

同僚と言うか、ほぼ同時期に、別の持ち場で仕事をしはじめた人も、どんな球が飛んでくるかわかんない現場でのハラハラ、絶体絶命的な追い込まれ感、自らのキャパの限界超えてる、まさしく次に発すべきコトバを失う状況を、右手の指を開いて、顔の斜め上から目の辺りにかざし、がーん!「ちびまる子ぉぉぉぉぉお」と表現していた。(それには非常に共感できた。)

その人は、英語は出きるんだけれど、中学受験しかしてないし、大学は出ているけど、大学受験英語をやったことがなくて、「シケ単」に出てくる英単語と日本語を知らないかもしれない、訳出が受験英語通りにできない場合、講師からクレームがきたらヤバイから、「シケ単」をひたすらチェックしていると言っていた。すごい日本的な危機管理、努力家さんだったな。

お仕事の現場の雰囲気、人との距離感において、自己責任的な自由度において、とても良かった。私はスタンドプレーができる環境の方がむいている。関西でのその1年だけが、邪心なく頑張れた気がするなあ。私は根っからの関西人なのか?松山での生活も福岡での生活も、なじみにくかった。他人さんの姑さんだらけに思えて、人の表情が鬼瓦に見えた。アウェー感が抜けなかった。

ちびまる子ちゃんの設定の昭和には、リアルタイムに子供だったけれど、アニメで見ていた頃は大人だった。

私は大人になってから、チビでデブだったし、私のことを、ちびまる子と呼ぶ人もいたような気がするけれど、子供の頃は、さぼどにチビではなかった。私は、まる子ちゃんのように妹じゃなくて、おねえちゃんですし。

私は、幸いにも、自己満足として、大変幸せな家庭の一員生活を過ごせたけれど、ちびまる子ちゃんよりも、大人っぽい子供時代だった。まわりでは、テレビで放送できないような会話が飛び交っていた。まわりの大人同士はアクもシャレも毒もあった。

この人らアホちゃう?と思った集団で闘牛の牛みたいな動きをする大学紛争も日本赤軍も水俣病も被差別部落の問題も、表面的には知っていたよ。ご近所と敵対することだってあったし、あんなに素直で、ほんわか家族じゃなかったね。

小学生だって、エッチだったし、スカートめくりとか、石蹴りとか、ケンパとか、ツイスターとか、キックベースボールとか、ダイヤモンドゲームとか、サマーキャンプとか、そういうのもあったのに。体育の授業の後で、男の子に、脱いだ体操服をいきなり投げつけられたこともあった。小学校高学年の記憶だけれど、小学校の前の本屋の子がいて、小学校の前にあるのに、エロ本の自販機が置いてあったらしく、エロ本屋〇〇ちゃん、と呼ばれた子がいたり。あだ名が、だっちょヘルニアという、どちらかと言えばボス的な男子もいた。

実際に子供が犯罪を犯すわけじゃないけれど、♪ジャスコで万引きぃ、ダイエで食い逃げ♪という替え歌があったなあ。

スカートめくりも、すんごい日常的にあったような気がする。サマーキャンプに行った時、ある女の子が、女の子って、なんでパンツ履いてるのに、スカートめくりされただけで、あんなにキャーキャー言うのかわからへんわ、と言ったので、私は、そこまで言うのなら、パンツを履いてなかったら、なんでダメなんだろう?と、チコちゃんに叱られるみたいなこと?を考えてみたけれど、答えが出せなかった。

キチガイとかキチガイ病院とか、そういう言い方もしていた。

もはや戦後ではないと言われた時代に、小学生の男の子は、何をし始めるにも、その前に、♪戦争開始ぃ、みなみな開始ぃ~、と言ってなかったっけ?

私にとっては、ちびまる子ちゃんの世界は、健全なファンタジー。リアルタイムなリアリティーはない。

今の私にとって、平成に始まった昭和のある規範的な物語の作者の死よりも、いまさらなサンチャイルドの福島市への贈呈?と、今日ネットニュースで知った、非難轟々の撤去の動きが、かなり解せないし、心痛む。

サンチャイルドは、防護服がないと生活できないかのような風評を福島に与えたらしい。

なんとなく、すったもんだがある、ことは知っていたから、ずっと南茨木駅前他にあって、それでいいんじゃない、と思っていたのに、311から7年以上経って、福島市に迎え入れられることが驚きでもあり、迎え入れてから、非難轟々になるのではなく、その前に人々の気持ちを忖度して、実行しないことにできなかったの?と思う。なんだかな。

これは、中国の反日デモに似ているのかも。

辛さや問題の原因や本質は、しっかり存在するのだけれど、それに対しては、巨大で複雑で、戦うことができないから、とりあえず目立つコイツをやっつけておこう、というようなものかもしれない。
特定の主体が、非難轟々を動員したのかもしれない。そういう可能性もある。
サンチャイルドが好きな人は、あえて陳情しないものだから、お電話の中では、ネガティブなご意見が大きくなって当然とも言える。

しかし、人の苛立ちや、やるせなさが少しでもおさまるのなら、撤去していいではないの。

私は、南茨木駅前にいるサンチャイルドが好きよ。

トータルなデザインも顔も可愛いし。

この世は危険だらけ、この世の空気は薄い毒ガスでできているし、雹も降ってくる。

個人的には、防護服もフルフェイスのメットも要るんだ。

うさん臭さ
放射性物質
排気ガス
PM2.5
各種アレルゲン
ダイオキシン
NOX
SOX
ゴミ屋敷の悪臭
誰かのワキガ
誰かのオナラ
タバコの煙
香りつきの洗剤(私はこれが好きではない)
お姉さんの香水
100円均一の匂い
ドラッグストアの匂い

などなどから守って欲しいんだよ。ただそういう気持ちでサンチャイルドを愛でている。脱いだヘルメットを投げつけたりは、決してしない、悪餓鬼じゃない、サンチャイルドの可愛らしさが好きよ。

小さい手のひらサイズのサンチャイルドを作って売ってくれたらいいね。

隠れキリシタンみたいに、福島でも、サンチャイルドが欲しい人がいると思うから。
実際、どこで買えるの?って聞いてきた方がいらしたし。

現実の大人は、とてもとても、先鋭化しているからね。注意しなくっちゃ。

2011年のことだと思うけれど、twitter経由で見た気がするエピソード。

震災と原発事故直後の福島の子供さんを東京(あたり)に呼んで、子供同士の交流の機会を実行されてた方の投稿を思い出した。内容は不正確だけれど。

子供同士が仲良くなって、その方の娘さんが、福島から来た男の子に、今度は私が会いに行くね!と言ったら、その男の子は、絶対に来たらいけないよ、と言って帰っていったらしい。

で、そのお母さんは、なんて悲しいことなんでしょう、と締めくくっていらした。

その男の子は、真に女にもてる、優しくてカッコいい男になりそうな気がする。
おディーン様みたいに、福島を出てワールドワイドに活躍できそう、そんな気がする。
その女の子は、その男の子のことを、ずっと想いつづける。そんな気がする。

いや、その男の子は、7年経って大人になり、福島市役所に猛抗議のお電話をされているかもしれないな。人の心は読めません。