日曜日, 6月 24, 2018

危険なブロック塀で安心してしまう世間の怖さ

個人的には、高い低いに関わらず、ブロック塀は好きじゃありません。

そこを歩けば歩道だから安全だよ、と言わんばかりに色でゾーン分けされていた場所にいて、倒壊した壁の直撃を受けて亡くなってしまった女の子や家族の人たち、壁に明るい絵を描いた人たちが気の毒でならない。

一般的にブロック塀は、見た目が貧乏臭いし、美しくないし、ブロックが重いし、鉄筋が入っているのかどうか、目視でわからないから危険。ブロック塀よりも石塀の方が鉄筋を入れる穴がなかったりして、セメントでくっついているだけかもしれない。怖い。

控え壁を設置できるスペースがあるのだったら、支えの支柱付きのもっと軽量な金属壁があるでしょ?と思いますけどね。自らも見直さないと。高低や工法如何に関わらず、ブロックという素材の使用を禁止しないと。

しかし、壁が高くなってしまう要因、見えなくしたいという欲求、分厚い壁だと安心という心理やニーズはずっと存在する。

学校側が壁で世間から隔離したい、近隣住民側が壁で学校から隔離して欲しいという根強い思いは続く。

世間は優しくない。はっきり怖い。ますます不寛容になってきている。

プールの盗撮などを行う変質者もいる。
子供の声が嫌いなクレーマー的な住民もいる。
倒壊という意味では危険は少ないし、ナチュラルな木々の生垣きで塀を作ったら、落ち葉が飛ぶだの、虫が出てくるだののクレームがあり、剪定などの手間も発生する。

ブロック塀に当たって命を落とすことよりも怖いとさえ思えてしまう、クレーマーや変質者がいる。それも現実。