火曜日, 5月 01, 2018

美的感覚、調和的見映えvs希少性的見栄について

その会話を聴いて、私はそうは思わない、と思ったのは、大阪万博の前だと思うから、私が小学校の3年生か4年生ぐらいの時か、もっと小さい時だったのかもしれない。

ある明治人が建てた(というか大工さんが建てた)南向きの応接間にいた時だった。その応接間は母屋につながってはいるけれど、独立した作りになっており、西側に応接間専用のお玄関がついていて、そこから直接応接間にお客様を案内できたと記憶する。
その応接間に母屋を経由して入室した記憶がないから。所詮子供の記憶だから、事実誤認かもしれない。

南側が総ガラス張りと言っても過言でないぐらい、掃き出しの窓が高かったと思う。その先に軒のついた濡れ縁的なバルコニーがあり、バルコニーの手すりはウッドで、鉄の棒ではなくて、縦に張った縄のようなものが柵の役割だったと思う。とても美しいと思った。

濡れ縁の南側、下前方の池の水面に垂れ下がるように、雪柳の白い花などがあったんじゃないかな?そこのおばさんが、うっかりしていると植木屋さんが雪柳を思いっきり刈ってしまうから、そうするとお花があまり咲かなくなるんだ、それが許せない、というようなことをおっしゃったと思う。(広いお庭を管理するって、気配りが大変なんだ、と思った。私は人をうらやんだり、親が与えてくれた環境に文句を言ったことが、あまりないと思う。それなりの苦労もあると思うから、豪邸に住みたいとは思わない。)

池には小さい橋があった。池の形は記憶していないけれど、地形が池に向かって、傾斜していて、応接間は高床式的な作りだったと思う。なんとなく。

応接間の窓から重なり合う紅葉の枝の青葉が見えたような気がする。南向きの窓から見えるもの全て、濡れ縁の柱、ロープの色、床の色、木々の色、それらが、その応接間に調和していると思った。子供ながらに。

そんなことは一言も言わなかったと思う。だって、子供だもの子供らしくしなくっちゃ。子供の頃の方が私はクールで余計なことを言わない大人の行動をしていたような気がしてならない。

応接間のソファーに座って、応接間と濡れ縁バルコニーと木々を眺めていた。

突然、おばあさんが、この応接間の木は、吉野のええ材木を買い占めたようなものだというようなことをおっしゃった。節のない、いい丸太だったのに、〇〇〇が黒く塗ってしまって、ホンマに残念や、というようなことを、しみじみおっしゃった。

〇〇〇は、工務店社長さんで、設計士さんではなくて、大工さん。

私は内心思った。(えっ?黒の方が庭にあってるよ。黒い材木に緑が映えて、応接間がシンプルに洋風でかっこよく見えないかな?これでよかったんじゃないの?)

高級木材というものの質を誇示するには、木目が見えた方がいいけど、白木じゃあ、かまぼこ板っぽいというか、建築としての完成度がイマイチじゃないのかなあ。

白木そのものが美しいと思われたのかもしれないが、お値段が高いものを高いように見せるのことを、最重要課題として普請するは野暮だよ。〇〇〇さんは、大工さんにして、腕と美的センスもある人なんだなあ、と思った。

しかし、そのおばあさんが母にくれた、市松人形さんほどに、上品で可愛いお人形さんは、いまだかつて見たことがないなあ。センスのいいおばあさんだった。白木だったらもっと良かったのかもしれない。少しづつ少しづつ木の色が深くなっていって、庭になじんでくるのもよさそう。

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小袋成彬のSelfishが好きすぎて、彼のFirst Album分離派の夏を、タワレコでdポイントで買った。

いきなり川端康成に関する語りから始まってビックリいい感じ。サンチアゴデコンポステーラへの巡礼の道での語りも出てくるし

川端康成の孤児根性。川端康成は言わば孤児なんだ苦労したんだ。でも才能があったんだ。
自宅から全て自らの敷地を踏んで登校できたらしい人もいて、どっちがより成功しているかと言えば、前者だ。

もろもろから分離されて、雰囲気や気配だけを感じつつ、分離派の夏、を聞きながら、伊豆の踊り子を読む。そんな夏がいいな。
そういうことができる空間を作らねば。
ヒッキーもアイコも買うんだ。