月曜日, 4月 09, 2018

肩書きは、品も質も証明しない。ただ辞退しなかっただけ。

ある人の肩書き及び自作自演の自己申告的なイメージ戦略のようなもの、及び、実体験、第三者からの聞き取り等による人物像。

1.初対面の日に、私、京大を受けて落ちましてん。(えっ?こちらから何も聞いてないのに、いきなり唐突に落ちた話からはじめるわけ?落ちた話なので、何学部ですか?って聞く気にもならなかったらしいが…。お勉強がお好きなのかしら?興味がないので、誰のことかも忘れたが、京大出の大物ってのがお好きみたいだ。阪大病院の方が断然近いのに、難病でもないのに、京大病院の診察券をパラサイトさんとペアでゲットするぐらいに京大がお好き。)

2.最終学歴は某女学校。

3.齢90歳越えにして、某教育大付属小学校を出ていて、同窓会活動がいまだにある。

4.キリスト教の洗礼を受けている。

5.小学校のPTA副会長をしていた。

6.民生委員をしていた。

7.お姑さん(叔母でもある)がキツイ人だった。ゆえに自由がなかった。(残された資料から見れば、お姑さんは、家事能力の有無まではわからないが、女らしい美しい文字を書き、呉服屋の中いとさん的な、スタイルと明るさと美意識のある人だとは思うが。)

8.自らの実家の一族が金銭的に生活の場として、嫁ぎ先に世話になったのは、旦那がその人を愛していて、旦那が優しい人であったからだ。(可哀想に、旦那さんは、家庭の円満を考えて、細心の気を使われたわけだ。やっぱり、そもそもは政略結婚だね。旦那さんの義母で、叔母さんであるところの姑は、独白調のエッセイにおいて、義理の息子への愛を語り、一般公募にしなかったことを悔いていらした。)

9.その人の嫁ぎ先のお家にお金がないのは、そこの先代が政治活動にお金を使ったからだ。(えっ?100歩譲って、仮にそうであったとしても、没落された実家の方々がお世話になったのに、そんな恩知らずな言い方はないんじゃないかな?貴女は旦那さん亡き後、お買い物依存症でいらしたでしょ?)

10.男みたいな性格ですねん。(とりあえず、何をご謙遜を!と思ったけれど、男みたいというよりも、だらしがない人だった。私の知る限り、女らしい気づかいとか、スキル、美的な情緒が皆無と言っても過言ではない。)

11.毒気のない人が好き。よく毒気がないを口にされた。
人の嫌がることを言われない、いい人ばっかりですねん、だれだれとはようわかりあってますねん、と言われてしまうと、まあ、そうですかぁと、つっこんだ質問も助言もできない。そういう表現で、都合の悪いことは隠し通してしまうような、人と人を分断して、コミュニケーションさせない、情報操作をしてしまうような、ご本人は毒気のある人。人を不安にしたり、イライラさせる人。(そういうやり方で、姑さんは、そのご実家の窮状やご姉妹のご様子を知り得なかったことに、心中地団駄を踏むように生きてこられたのだろうと思う。)

12.お片づけもお料理もできない。お雑煮のダシは水の量を間違っている、すがきやうどんスープ。超めんどくさがり屋。なんでも溜め込む。未開封のまま放置(私の差し上げたものは全て未使用品として溜まっていた)。食品を開封して食べた場合、包み紙を元通りに箱に詰めてから、空き箱を押入れに入れたり、扉の前や通路に積み上げたり。お歳を召されてからそうだと思っていたのだけれど、お友達の弁によれば、若いときから一貫してそうらしい。(今だったら、心療内科に通うべき症例。)

13.運動神経が超悪いのに、チームの足をひっぱってもママさんバレーに参加する。
バレーボールを指先ではじくことができず、ベタっと落とすことしかできないのに、参加することが名誉であると思っているかのごとくに出場を辞退されなかったらしい。レシーブをしようとしたら前に倒れるらしい。(子供の頃、母と団地の公園でバレーボールで遊んだなあ。上手くいけば、20回、30回と連続して、トスパストスパスが続いたけどなあ。指先でボールをはじくのは、ベタっと手を当てないというのは、バレーボールの基本中の基本動作なのだが。)

14.強いて探したよいところ。
文章がくどくて、心を打つわけでも、要点がクリアでも、名文でもないが、下着のシャツ等の厚紙に書くメモ魔であり、文章及び漢字が書けるところ。お勉強はお好きだったんだろうなあ、と思える生活習慣。H12.10.19付けで、私のことを良い人である、と、手書きでメモっているところ(苦笑)。何を根拠にかはわかんないけど、証拠資料として、取り置いている。(何に使えるわけでもないが。)

100%能力がないわけではないけれど、能力の有無の落差の激しい人であり、不思議な大正生まれの怪物さんであり、なんでそのような人間になってしまったのか?理解に苦しむ。いまさら考えても詮無いことではございますが。

真に狡賢いのであれば、証拠隠滅の機会は多々あったのに、第三者が指摘する自らの汚点や汚物のような不用品を戦前から今日まで残されているのは、あまりにもイノセント。

純粋に怠惰なのだろう。

この世には、様々な美がある。ちょっと手を伸ばせばそこにある美を、愛でることも、生み出すことも、育てることも、埃を払って人のために用いることもせず、結果として、約50年で終わる家長の人生を、三代に渡って、その終わりは目撃された方なんだ。その都度に、自らの行いに関して悔恨の気持ちが動いたのかどうかは、それが続いたのかどうかは、私には知る由も無いが。