月曜日, 3月 09, 2015

集団であやまらさせに行って、相手があやまって...。

様々な人間が、様々な境遇を生きて、心の中では、バラバラな意見や好みを持つ世の中にあって、大勢の見かけ上の友達がいたら、私はうまくいく、というようなポジティブな期待を、私は持たないタイプだ。

最終的に責任を取らない、勝ち馬にしかのらない、時として興味本位だったり、悪意もあるかもしれない人々がいる。それらの意見にふりまわされたくない、もし、失敗するのであれば、人の意見を鵜呑みにするよりは、自分の思うようにやって失敗した方がずっといい、とすら思っていたりする。(性格悪う~。)

でも、1から10まで、全て自分自身でできるわけでもないし、人に依頼したり、御意見を聞いたり、交渉事をする際には、私は基本的に一人で出かけて行く。実際、他に頼れる人がいるわけではなかったからでもあるけれど。

でも、一人で知らない人のところに行くことには、漠然と身の危険を感じるし、変な噂を立てられるのも迷惑だし。私は、KIDSじゃないけど、常にKIDS携帯を相手にわからないように握りしめていた。(気ぃ弱ぁ~。)

何かがあれば、大音量でアラームを鳴らすことができて、同時にGPSで遭難場所が特定できて、身内に私が遭難している旨のメールが届くようにしていた。最悪、何らかの危害を加えられそうになったら、それを盾に、相手を脅して抑止する、ぐらいのシミュレーションは頭の中で何度もした。

幸いなことに、アラームを鳴らすような局面はなかった。

川崎の中学一年生が年上の未成年に殺害された件は、中途半端に心を許し、心を支配され、色々と心理的に追い込まれるような状況があったのだろうけれど、シングルマザー家庭で、兄弟も多くて、裕福ではないようなのに、スマホは持っていて、LINEで呼び出されてしまう、という無防備さが私には理解できない。本当に彼は気のいい子なんだろう。

もし、貧しいのであれば、お母さんと兄弟を助けたいと思う子供なのならば、お母さんが連絡がしやすい、一番安い子供用のガラ携を持たせてあげればよかったのに。

経済的に余裕があっても、スマホはどうかなあ?それよりも護身用の何かを持つべきだと私は思うのだけれど。

子供という意味で同レベルの社会的地位の、子供同士って、わかりあえるかもしれないけれど、できることには限界があるよ。少年法を改正したって、中学生は中学生の能力の質以上の力を得ることはできない。破壊力は持てるけど、建設的な力は、まだまだ怪しい。

年上の根暗な感じの少年が、多くの友人から慕われている中一男子に嫉妬して、殺意を抱くようになったということなんだろうけれど。

嫉妬と殺意と殺害の間には、本来、深くて越えられない溝があるはずなんだけれど。

年下の中一君の友人が大挙して家に押し寄せてきて、あやまれ!とつめよられたら、加害少年の面子はまるつぶれだったかもしれない。(だからと言って、人をあやめてよいわけはないけれど。)

中一って、当然、大人じゃないから、友人も、詰めよられた側の少年にも面子はあるはずだよとか、そうことは考えずに行ったのかもしれない。まさか、殺害に至るなんて思わなかったのだろう。(当然、殺した奴が悪いんだけれど。彼の心も傷だらけだったんだろうなあ。)

交渉事は一人がいいのか?多くの仲間を連れて行った方がよかったのか?

相手が一人の場合は、一人で行った方が良いような気がする。それができなきゃ。何もしない方がいい。

主張が正しいとか、正しくないとか、そういうことにかかわらず、数の力で詰め寄ったり、威嚇したり、そういうのって、案外後々大きな災いを連れてくると思う。

相手のことをSNSに晒すというのも。

きっと最後に恨みを買ってしまう。
その恨みが、軽々と一線を超えさせてしまうことだってありうることを忘れないようにしないと。

人の噂は75日。

世間は忘れてしまっても、個人的な恨みは、一線を超えがちで、超えなければ、一生を超えて続くから。

君子危うきに近寄らず。

正しい結果をもたらす正義、そこそこハッピーな結果をもたらす正義って、不幸にはならない正義って、難しいんだから。