「チクる」という口語的な日本語がいつから存在するのかは知らないけれど。
1991年あたりには、私は、外国の方に、有償ボランティアで日本語をお教えし、同時並行で教授法を考える研究会の会員で、来るもの拒まず、1時間500円で日本語を教えていた。
今もできるかな、一つの文章を標準語的なアクセントと関西弁的なアクセントで読み分けることが得意だった。
会員の中で、やっかいなのは、元国語の先生。正しい国文法(?)、未然形、連用形、なぁ~んてことを言って、外国人の生徒さんが理解できると思う?それを誰かが指摘したのだと思う。指摘した人のダンナさんに、チクるというか、怒鳴り込んだりして、大ゲンカになっていたり。某方言を標準語だと思い込んでいたのか、方言を教えていた人もいたような気がする。
どちらかと言えば、外国人の生徒さんから学ぶことが、楽しませてもらえたことが、非常に多かった。
まだ10代だったと思うけれど、スペイン語も英語も使うことができるドイツ人のCちゃんの能動的な学習方法のご提案には感動した。
Cちゃんは、1991年のバルセロナオリンピックでドイツ人がメダルを取ったからって、私にオメデトウという日本人の感覚がわからないと言っていた。典型的なドイツ人なのかどうかはわからないけれど、なかなか全うな自己主張のある頭のいい子だった。
彼女のリクエストは、日本語で赤頭巾ちゃんを書いてくるから添削して、というものだった。(面白そうだね。いいよ。いいよ。)
スペイン語でも同じことをしたらしい。
難しいことは一切書かずに、淡々と平明に、持っている日本語力の範囲に表現をコントロールしながら、赤頭巾ちゃんの体験を最初から最後まで順々に上手に書いてきた。こうすれば、もっといいね、というような、アドバイスはしたけれど、意味がわからないような出来ではなかった。
たまたま、その時、私はスペイン語を習っていて、スペイン語の赤頭巾ちゃんを読んでいた。スペイン語の赤頭巾ちゃんはラテン気質なのか、道草を食う時間が長かったような気がする。
担当のボランティア先生に用事があって、1回だけオーストラリア人の高校生(交換留学生)を教えたことがある。名前は忘れた。
テキストが決まっていて、文章を読んで、内容を理解しているかどうか、その表現が使えるかどうかを対話をしながら、練習していったのだと思う。
全部ひらがなで書いてあったけれど、「誰々さんが先生に告げ口をしました。」というような、文章があったはず。
「告げ口」の意味がわかりますか?、と私は聞いた。
間髪入れずに返してきた。
チク~る。
立場を忘れて、思わず「偉い!」って言ってしまった。(日本の高校に馴染んでいる?悪い友達に教えられたのかな?来日1年経ってないのにね。)
それから、多分英語で言ったような気がするけれど、それは、とても自然で、完璧に正しい理解だけれど、学生の間の口語的な表現なので、オフィシャルには「告げ口をする」を言ってくださいね。年配の先生の中は「チクる」とかいうと、不機嫌になる方がいるかもしれないから、使い分けてね、と言ったと思います。
チクるというか、デマ噂話好きな人々のことを、big mouthと言おうとして、「大きいクチぃ」とシャウトしたアメリカ人Bちゃんも面白かったが。
メールもLINEもなくて、相対でコミュニケーションをする時間が多かったあの頃ですら、チクり、チクられは、大変だったのだ。
世の中、ますますメンドクサイのよねえ。みんなまとめてスルーしちゃえ。