木曜日, 3月 26, 2015

不对号的机票

最近、飛行機事故が多いような気がする。

でも、それは、過去の事故よりも、最近の事故が印象に残るから、そう思うのかもしれない。10年前、20年前、30年前と比較したら、年間の死亡者数が増えているのか、横ばいなのかは、よくわからない。

しかし、2001年の911以降増えたような気がしなくもない。いや、911以降、何があってもおかしくないと思うだけなのかもしれない。

2014年、北京行きのマレーシア航空機は、239名の乗客をのせて、まだどこの海域に墜落したのかもわからないし。

そして、オランダ発クアラルンプール行きのマレーシア航空機は、ウクライナ上空で撃墜されて、298名の死者が出た。

台湾のトランスアジア航空の台北の高速道路スレスレの河川への不時着には、ど肝を抜かれたし。その前にも、嵐の夜に離島便が墜落したんじゃなかったっけ?

最近の、バルセロナ発のドイツのLCCが、なぜか急降下、フランス領のアルプスに激突の事故。150名が死亡。
最初、一報を聞いた時、これはテロ?と疑ったけれど、本当のところは、どうなんだろうか?

飛行機怖いなあ、海外旅行は、もういいよ、別に、と思いつつある。別に日本が安全とも思い難いが、そういうネガティブなマインドだ。


でも、1980年代だって、

1983年には大韓航空機がソ連軍機に撃墜され、269名の死者が出た。
1985年には日航機が御巣鷹の尾根に墜落して、520名の死者が出た。
1987年に北朝鮮の工作員により、自爆テロじゃない形で、大韓航空が爆破されて100名を肥える乗客乗員が死亡した。

なのに、私は、1988年には、主に安かったという理由で、大韓航空でロンドンまで行っちゃったしなあ。若かったので、怖いもの知らずだっただけだ。運がよければ大丈夫、と思っていた。

ヨーロッパでは、ヨーロッパでも、域内を飛んでいる飛行機はボロかった、という印象がある。

1985年の夏休みに、往復JALで、マドリッドにホテルとりっぱなしだけのツアーで行き、勝手に飛行機で、グラナダ行ったり、バルセロナに行ったりした時に、最後に乗ったバルセロナからマドリッドのシャトル便のような飛行機には、ちょっと驚いた。

チケットをCAさんに見せて、ドンデ エスタ エル ヌメロ デ アシエント?(どこに座席番号があんのん?)って聞いたことを覚えている。

スペイン語でどう言われたのかは覚えてないけれど、好きなところにすわれ、と。飛行機なのに自由席(不对号)なんて、はじめてだった。

スペインでは、何かと座席でもめたかも。旅の恥はかきすてということで、私は大阪弁でまくしたてたこともある。闘牛場で私らの席に座っていた欧州のオバちゃんが、どいてくれないので、「こぉぉぉぉらぁぁぁ、おばはんどけぇぇぇ!どかんかぁぁぁい!」とまくし立てたら、迫力が通じたのか、どいてくれたり。

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最終日に、マドリッドでタクシーに乗ったら、JALが墜落したと運転手さんに言われ、現地の新聞を買ったら一面に載っていて、ビビった。翌日のマドリッドー成田ー伊丹の帰路に生きた心地がしなかった。

どこの飛行機が安全かは、わからないけれど、欧州では、2回ロストバゲッジにあっていて、飛行機の遅延で、間に合ってるのに、次の便があるのをいいことに、勝手にブッキングを落とされていたり、何かと色々あったような気もする。

今回の事故で、パイロットが乗務拒否をしているようだし、インサイダーの視点で、安全性にも問題があるのだろう。きっと。

LCCってどうなの?

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LCCじゃなくても、事故は起こっている。(運賃が高かったら安全というわけでもない。)

この事故は、副操縦士が機長をコックピットから締め出して、故意に急降下させたらしいけれど、それに似たような事故は過去にもあった、あった。

http://bit.ly/KgqDaX

日航機の機長が精神疾患を患っていて、逆噴射。機体が羽田沖に突っ込んで、まっぷたつ。死者も出た。でも、その時は、副操縦士が逆噴射返しをして、立て直そうとしたから、まだ、犠牲者は少なかったのだろう。

逆噴射って、1982年あたりの流行語だったような気がする。今の逆ギレみたいな感じの。

不完全な人が作って、人が動かす乗り物だから、パーフェクトな安全はないのだ。