最近、土曜日は午後から出かけていくというパターンだ。
本当は土曜日に在宅で、日曜日の朝から出かけて行きたいような気がするのだけれど、同居人が土曜日の午前中に出かける用事があって、日曜日は自宅にて仕事がしたいらしく、私は土曜日の彼の用事とは無関係なので、私は土曜日の午後から出かけていって、合流するというパターンになっている。
たまたま、土曜日の午後に乗った電車がラッピング列車だった。
柳川の、吊るすタイプの伝統的な女の子の節句の飾り「さげもん」の鞠が、車体に大胆にデザインされていて綺麗だ。
車内では、本物の飾りものがついていて、解説文と写真が載っているポスターの中吊りがある。立っている乗客もいたので、ちゃんと全部見たのかどうか、自信がないのだけれど、18種類ぐらいあったと思う。手がこんでいる広告で、綺麗だし、壮観だった。
でも、広告を読んで満足してしまって、多分、あえて柳川には行かないかもしれないけれど。4月3日まで、やっているのなら、今年は行ってみようかな。
でも、乗客の方々は、普通のとは違う、スペシャルな列車なのに、特に感動している素振りがなくて、それは私には不思議だった。
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柳川の鞠ではなかったけれど、幼稚園に行く前、小さかった時に、四国あたりの鞠だったと思うのだけれど、団地の上の階のおばさんのところにあった色とりどりの糸が巻いてあって刺繍のある鞠にすごく感動して、そこのおばさんに「作りたいの。どうしたら作れるの?」と詰め寄った記憶がある。
「欲しい」ではなくて「作ってみたい」。
売っているものを見たり、売っているものを買って食べたりすると、作ってみたいという衝動にかられる。小さい時から。新規な発想とか、クリエイティビティーはさほどにない、買えばよいのに、執拗に自ら作ってみたがる癖がある。
鞠の表面の幾何学模様のような連続性に魅せられたのだと思う。その鞠がどうでもよくなったのは、ギザギザの大きな円の中をギザギザの小さな円の歯車の偏心した穴に鉛筆の先を突っ込んで、小さい歯車をグルグル回していったら、連続したお花のような模様が描けるキットにハマって、鞠の上の図案のような模様が描けることに満足したからなんじゃないかと思っている。
また、それで絵を書いてみたくなって、ネットで調べて、とてもとても懐かしく思えて、ポチってしまった。それはローリングルーラーというものなんだ。(いくつになっても、私は愚かだ。)
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柳川の各種さげもん飾りの解説の中で、一番面白かったのは鳩の功績。
鳩は平和とか友愛のシンボルだということは、よく聞く。私にとって新しいのは「鳩はむせにくい」という点。
鳩は、赤ちゃんがむせて、ミルクを吐き出さないためのお守りらしい。
鳩胸だからむせないのかしらん?
でも、鳩がむせたらどうなるのだろうか?本当に鳩はむせてないのだろうか?
友愛の名のもとに、正しい行いばかりをしているとは到底思えない国に出向いていっては、軽々に良い人ぶりを発揮している元首相の鳩っぽっぽは、どうなんだろうか?ちょっとむせた方がいいのかも。