事件や事故により、悲惨な非業の死に至った者を悼み、人は事件の現場に、その現場につながる場所に、花束や食べ物や故人へのメッセージを供える。そういう光景を映像によって、最近よく目にする。とてもとても残念なことに。
それは、死者の冥福を祈る気持ちで、非業の死に至る事態を止めることができなかったことへの贖罪として等々で。
河川敷等、殺害現場の地面に供えられた花束。
高く積まれた花も数日で枯れる。
たくさんの花束をくるんであるセロファンとか紐は、永遠に土に返ることはない。
非業の死をとげた故人が生き返ることがないように。
スナック菓子もスナック菓子のパッケージも。
寄せ書きをしたバスケのボールも。
気持ちはお供え物を通じてしか、鎮魂の気持ちは表現できないかもしれないし。
そういうことを言うのは、あまりにも無粋なのかもしれないけれど。
お供えをするのであれば、花束のセロファンは、はずして、お花だけを供えた方がいいんじゃない?と心の中で思う。その方がすっきり土に返るから。セロファンとかプラスチックとかは、その場を片付ける誰かが大変だから。自宅の仏間じゃないんだから。
生分解性がないから、永遠のゴミになってしまうお供物は、一体誰が片付けているのだろうか?行政?町内会?
お花よりは、西ノ島の海の海水とか西ノ島の小学校のグランドの土とか、そういうものをまいた方が中一男子君の霊がうかばれるんじゃないかな、という気持ちすらする。
とにかく、人が生きているうちに、手を打たないことには。
死んでからなら、何をやっても意味はない。