私は、日本内で、日本語の文脈の中で、一般的に、普遍的に、用いられている「テロ」や「テロリスト」という表現の曖昧さが論理的(合理的)に嫌いだ。安易に使うのを、やめてもらいたい。
テレビのテロップにだって、「テロ」と表示される。テロップのテロも、テロリストのテロも、テヘペロのテロも音韻としては同じ。
中国語では「テロ」の部分を「恐怖(kong3 bu4)」と、表意文字により表現している。
(表意文字の漢字しかないからですけれど。)
「テロ」一般は、英語の「テロリズム」で、実際のところは、わけがわかならいけれど、「恐怖主義」の方にリアリティーを感じる。
おじけこわがる。おじけこわがらせる。
テロ行為:恐怖行動
テロ事件:恐怖事件
テロリズム:恐怖主義
テロリスト:恐怖主義者 または 恐怖分子
テロリストは、他者に与える恐怖の最大化によって、他者を(絶望と混乱と恥辱に陥れるという意味で)コントロールをする主体、ということが良くわかる。日本語のテロよりは、私には、明白(ミンバイ!)。
日本語のテロップの中の全ての「テロ」を「恐怖」に置き換えて読めば、本質に近づけるのではないか?
一般人の心構えも、上から下まで、事前の対応も、現在進行中の対応も、今後の対応も変わってくるのではないだろうか?
イズム(ism)の部分の「主義」は、日本人の西周(にしあまね)が造語した訳語。それを中国語では使っている。
カタカナ語はお手軽ではあるけれど、日本人を思考停止にする、思いもかけない重い重い躓きの石でもあると思う。
誰を責めるわけじゃない。力なき者、不必要に危うきに近づかず。