日本語の中でも四文字熟語として使われている臥薪嘗胆(がしんしょうたん)。
中国語の簡体字では卧薪尝胆(wo4 xi1n cha2ng da3n)。
中国語の教科書にも載っているので、中国の故事に基づいて、現在の中国でも使われていて、日本でも用いられる四文字熟語なんでしょう。中国語では成语(che2ng yu3 )なのね。
なぜ臥薪嘗胆についてかは、その英語訳(説明)が面白かったのです。
sleep on bushwood and taste gall (endure hardship to remind oneself of national humiliation and prepare for revenge)
柴(薪)の上に寝て、肝を舐める。(国辱を忘れず、復習を果たさんがため、辛苦に耐える。)
ただ負け戦によってみじめな生活をさせられるという意味ではないし、屈辱も個人的でもあるかもしれませんが、国辱(national humiliation)。だから、この四文字熟語は日清戦争の後に日本で盛んに用いられたのか。(なるほど。)
言葉の裏に歴史的な事件あり。
↓ ウィキペディア (臥薪嘗胆)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A5%E8%96%AA%E5%98%97%E8%83%86
石光真人編著
『ある明治人の記録-会津人 柴五郎の遺書』(中公新書)を読み終えた。
日本の歴史の教科書に載っているような大雑把な歴史の記述・評価というものは、勝者による歴史の断片に過ぎないなあと改めて思う。柴五郎は、会津藩士の子として一生忘れ得ない屈辱の少年時代、臥薪嘗胆な生活(母妹は自害し、開墾不能な下北半島に流され、寒い家で海草粥をすすり犬の肉を食らう)を経て、日露戦争後、最終的に陸軍大将になった人。
でも、彼は出世したと言えると思うけど、彼が行ったのは復讐ではない。自らが受けた辱めをはらすのは、あだ討ちじゃなくて、国に貢献する仕事ができる立場になることだったのでしょう。
この遺書に感動するのは、少年柴五郎本人の聡明さ素養を周りの大人が感じていて、何気に温かく、騙し騙し鼓舞し、死なないように、心が折れないように、導いていると思われる点。写真を見る限り聡明そうな男前さんだし。
武士の子供なので、境遇として恵まれてないとも言い切れないけれど、生れ落ちた環境(そのもの)は良いも悪いも個人の責任じゃない。誰の人生でも、人生とはそういうもの。それをどう処遇するか。徹底的に敗者(敗軍)を抹殺しない明治の社会は総じて良識的であったのかもしれません。
この本の記述で面白いのは、靖国神社の前身である招魂社(九段&各地方)には朝敵は祭らず弔わずというところ。会津藩士の犠牲者は徳川側についたから朝敵ということで、日本人なのに合祀されなかった。なんで無理やり家族が嫌がっている外国人を戦後合祀するのかなあ?神社って、国策って、人の世の一部だから、歴史的に一貫性などない。個々人のための鎮魂なんて、本来意図してない。いい加減なもんだよね。日本人は本来、別に、とりたてて心の広い民族ではない。(いがみ合っている。自国民に冷たく、お為ごかし。)
正義の戦争、血を流さない戦争、筋の通った戦争なんてない。戊辰戦争も西南戦争も。
この本は1971年初版で2009年に47版のようです。ロングテールに、じわじわ売れ続けているみたいです。