月曜日, 9月 14, 2009

ふとインド料理屋のネパール人コックさんを思い出した。

もしかしたら、私には審美眼があるのかもしれない。感受性は強いかも。
違和感のあるものを見続けると、身体に変調をきたすことがある。(見続けたものが原因なのかどうかはわからないけれど。)

昨晩、その違和感の原因について、考えあぐねていると、眠れなくなって、胃が気持ちが悪くなって、洗面器いっぱいのゲロを吐いてしまった。

昔からそうだ。感じすぎて、考えすぎると、胃腸の調子が悪くなり、眠れなくなり、消化不良になり、吐いてしまう。しょっちゅうじゃないんですが、年にまれにあります。

そこまでいくと、結果スッキリして、私は病気だから、ゆっくりお休みしていいんだという気にもなって、やっと思考を止められる。そして、延々と眠れる。

違和感の原因は、その作り手が、不満&アパシー(感情鈍麻)なのではないかという気がしたから(かも)。

どこの国で作っているものでも、手で作った織物には織り手の魂のようなもの、精神状態が宿る。多くの場合、それはネガティブで重いものばかりではなくて、作っていくうちに、無の境地に入っていく、精神が落ち付いてくる、ゆったりとした楽しさもある。(私は、気持ちが落ち着くから手作業とか針と糸が好き。)

ロシアのマトリョーシカは、作り手の精神状態と一瞬の全体最適化による、人間臭い美だと思う。彩色をしているオバちゃんの一瞬一瞬の精神状態を投影している。(めんどくせーな、あきちゃったな、みたいなものを含めて。)一体、一体、バラバラだけれど、すべてマトリョーシカであって、それ以外の何物でもないものを作り上げている。(日本のこけしは手作りだけど工業製品的な画一さがあって、私には息が詰まるの。)

だけど、その布を使ったバッグには、なんだか作り手が満足してないんじゃないかな、というオーラを感じてしまった。やらされているという感じ。完璧コピーの精巧さ以上に耐えがたいもの。売れ筋のイメージを追っちゃった感じもあるし、多分はずれてるし。

この布は、本来、それが生まれた地で、どういう用途で使われるの?そこの風土の何から湧いて出たものなの?織っている貴方はただ織るだけの人で、ユーザーにはなれない境遇なのかもしれないけれど、その布で、どんな夢がみれるの?婚礼衣装なのかなあ?お祭りの時に身に付けるものなのか?一生ものの普段着なのか?本来の色なのか?海外の市場を意識した色合いなのか? 

???ばかりだった。アイデンティティーがなかった。中途半端だった。大量生産のもの以上に。

苦労話&冒険話&社会的な使命感を聞かされただけで、イマイチ、ピンとこない商品&御説明ではありました。本当の気持ちを言いにくい雰囲気。(でも、ある程度は言っちゃったけど。)

大中、チャイハネ、チチカカ、そのあたりで売っているジャンク(かもしれないもの)の方に、より強い風土とアイデンティティとKAWAIIとノリノリ感を感じられる。
エスニックなものが好きですよ、私。いいと思うものは、いい。

ルソンの壺をそのまま茶道に取り入れた千利休は偉いよ。目利きというよりも、コーディネーションができたんだね。
ジャワ更紗で着物を作った人も美を感じたんだと思う。
花魁に南方のトンボ玉をプレゼントしたオヤジも美の壺を知っている。

でもなあ、その製品の美の壺はいったい何?どこ?

ふと思い出した。

日本にあるインド人経営のインド料理屋では肌の色が褐色のネパール人がコックをしている。厨房の中にいるから日本人にはインド人に見えるけど、ネパール人。(インド人がそう言ってたんで、間違いないでしょう。)
ネパール人は、本来カレーを食べない(?)。だから味見もしない(かも)。でも、インド料理屋の経営者は、日本でですら(コストも高い日本だから、日本人にはばれないから)より賃金の安いネパール人を使う。日本人から見た目はインド人、本場の味っぽいしね。

貧困国(内、間)にはグラデーションがある。最貧困国にもグラデーションがある。貧しい国の人は、より貧しい国から狡猾に、露骨に、あるいは、よい人のふりをして、それがビジネスであるとして、搾取することも多々ある。

悲しいかな。この世の中は、騙し騙され。世界的な不況の中、日本人は、まだまだ、いい鴨なのでしょうかね。それに乗っかっちゃっている悪い日本人ってのもいるだろうなあ。

様々な製品に、銀行屋の匂い、管理会計の匂い。作り手の喜びが失せている感じ。

経済学の匂いも嫌だ。比較生産性優位によって、労働力の安い貧乏国は貧乏国にふさわしい労働集約型の製品を作り、先進国は先進国らしく頭脳労働ってか。(ほっといてくれ!)


そんなものに縛られないで、私は作りえるものを、私が美しいと思うものを、手で作るのが好きだ。(個人的には貧乏ですもの。個人レベルの比較生産性優位では、理論的にそれでいいのだ。)身につけるもので、買いたいものはあまりなく、自分で作ったら、常に一点ものだから、それで心も満足なのだ。