日曜日に映画「女の子ものがたり」を観た。
賞を取りそうな映画じゃ全くないけれど、非常によかったです。
社会に向かって何を訴えるでなし、個人に向かって何の説教をするでなし。
「女」ものがたりではなくて、「女の子」ものがたり。
昔(むかし)女の子が女の人生を決定しているのかなあ。
女には女の子であった時から引きずっている「愛すべき」幸せ癖や不幸せ癖がある。それを愛すべきと思いあえるのが親友なんじゃないかな。
家庭環境的に幸せとは言えない、かなり悲惨な女の子たちの愛すべき温かさが心を満たす。
どうしようもない男についていく、きいちゃんの一言が切ない。
アカン人間であることは良くわかっているよ。
でも、(私達を捨てた)お父さんはあんな人ではなかったかと思って。
みたいなことを言う。なるほど。
どのような父親であっても、父親がいることそのものが幸せではないのだけれど、自らの父親を知らない女の子の心の空白と呪縛は悲しい(かもしれない)。自らの実際の生活の悲惨さから推測されるリアルでアカン父親像を男に求めてしまうのだろう。
愛媛の大洲市が舞台になっていて、愛媛弁のまったり感がいい味だしている映画でした。