日曜日, 6月 21, 2009

party

土曜日にNHK中国語講座でおなじみの荒川清秀先生の『中国語 動詞と名詞のはなし』 (by 立命館アジア太平洋大学孔子学院) を聞きに行った。大変面白かったです。

中国語と日本語。
同じ漢字の国のコトバであっても、個々の漢字の意味そのもの、意味的な守備範囲が違って面白い。交流もあるけど、各々に超長期の歴史的風土的経路依存性(super long historical and cultural path dependency)があると(勝手に)言ってもいいのかも。

コトバには実際の生活とか”所作”の匂いがある。

人からみれば、クオリアと言われているものかもしれないし、コトバの機能からみれば、アフォーダンスかもしれない。コトバを使う人にとって、使い勝手がよいように収斂している部分が多いような気がします。

でも、昨今はグローバリズムによって生活環境の変化が激しくて、何語であっても不合理(コトバの機能的な壁)が目についてしまうだけかも。

レクチャーの本題には関係ないのですが、私は、中国語の外来語対応は、意味訳主体なのか音韻訳主体で推移するのか、中国の方のメンタリティーからしてどう思われますか?というKYな質問をしてしまいました。

教育レベル、知識レベル(情報に対する感度みたいなものかも)によって異なるんじゃないかということでして、均一的、統一的な訳語にならないんじゃないかというような感想を持たれているようでした。(中国は大国ですから。)

例として、party(パーティー)は 晚会wa3n hui4 ということが多いけれど、音韻訳風に派会pa4i hui4 という表現もあるということでした。(ネット上では見つからなかったので、聞き取り&メモ書きをミスっているかも。)

中国の習慣において、典型的なパーティーは、晚会wa3n hui4 なんだろうなあ。
午餐会 wu3 ca1n hui4(昼食会) という表現もある。パーティーを一言で表現可能な中国語の漢字はなさそう。お誕生日パーティーは生日会 she1ng ri4 hui4 。

英語のpartyは、主に日本語における(飲み食い、おたのしみ、懇親(は楽しめない私だが...))会+(同志の)党だと思う。partyを派会pa4i hui4 を訳した方が、音韻的にも若干近似していて、双方の意味を満足させるという意味で良い中国語訳なのかもしれません。

中国語の場合は、漢字が表意文字なので、音韻訳においても、意味とかニュアンスなしで、受容することができない。裏の意味のようなもの、含意を知らず知らずのうちに感じとってしまうようです。

政党のパーティー券。 A political party's party ticket。日本語においては、党はパーティーに含めないというカタカナ語のパーティーの守備範囲があるみたいだ。