水曜日, 5月 20, 2009

今天的中国话 语言障碍(?)

语言障碍 yu3 ya2n zha4ng a4i

中国語で『言葉の壁』とは、どう表現するのかしらん?と思い、google翻訳をかけてみると、上記の訳が出た。(ちょっと違うな。)

恐らく、《言葉の壁》 → 《language barrier》 → 《语言障碍 yu3 ya2n zha4ng a4i 》というルートで変換されたんだろうと思います。

中国語の《语言障碍》は、英語の《speech impediment》かも。発話障害とか言語障害というか、母国語においても、発話が困難である症状を(も)指すような気が致します。

不同的语言障碍 bu4 to2ng de yu3 ya2n zha4ng a4i 。異言語の壁であれば、そのように言えるのかもしれない。(ちょっと違うかも。)

本日、インドの ジャワラハルラル・ネール大学のプレム・モトワニ教授のお話をお聞きする機会がありました。インドにおける日本語研究、日本の近代化研究の第一人者でいらっしゃるようです。何よりも日本語そのもの、話し方が非常に上手でいらっしゃいました。インドなまりが全くない。一般的なインド人が駆使する早口の英語よりも、聞き取り易く、快適で自然な間。教科書的でもブロークンでもない日本語でした。

日本語の近代化の研究をされているからか、コンテンポラリーで当を得た日本語なんだろうと思います。

日系企業等で雇用されているインド人の方の日本語習得についてお聞きしたところ、《言葉の壁》がないから、読み書きは別として、発話に関しては、上達は早いというお返事でした。

この場合の《言葉の壁》とはどういう意味だろう?(日本語って結構ハードルが高いかもしれないのに。)
《他言語に対して、心理的な恐怖心という名の壁をつくること》=《言葉の壁》なんだろうなあと理解しました。

インドには準公用語の英語以外に18もの公用語があるそうで、21州あって、それぞれが、ほぼ言語別に分かれているということなので、大都市のデリーには、様々な州からやってきた同国(インド)人がいて、様々な異なる国内言語の音に身をさらすことになるのでしょう。

他言語の、異なる音、異なるリズム、異なるイントネーションに壁を作らず、身をゆだねることが出来るというのが、インドにおける日常なんでしょうねえ。多分。

日本人における《言葉の壁》ってのは、言語が異なることによる理解不能の壁というよりも、異なる言語をマネぶことに、異なる言語を使ってみることに、言葉がわからなかったら身振り手振り、作図、様々な手段を駆使することに、消極的で、コミュニケーションをしないということかも。それらを忌避をしたり、心理的な壁を作る習性があるということなんじゃないかという気がします。

日本人における《言語習得の壁》ってのは、永遠の課題かもしれません。