火曜日, 4月 07, 2009

今天的日本话 加奈之可利家理


余能奈可波
牟奈之伎母能等
志流等(?)伎子
伊与余麻須万須
加奈之可利
家理

と石碑@太宰府政庁跡には『万葉仮名』で彫ってあります。漢字1文字が大和言葉の1音節に対応しています。中国語表記に似ています。

世の中は、空しきものと、知るときし、いよよますます、悲しかりけり。(大伴旅人)これって名歌なんでしょうかねえ?奥さんを亡くした時に読んだ歌らしいけれど。空しい、悲しい、しか歌ってないではないか、ひねりがないなあ、とも思うのですが…。それ以外の表現が見つからない程に悲しいのでしょう。

この石碑の前に美しい枝垂桜がある。小ぶりの濃い目のピンク花が可愛いので、毎年、鑑賞に行く。

感動するのは、昔から、世の中(YONONAKA) 空しい(MUNASHII) 悲し(い)(KANASHII)と言ったんだ!そういう言葉があり、そのような気持ちは時空を超えて変わらない、ということですね。現代の中国語と当時の中国語の発音も違うでしょうが、中国語の発音を聞きつつ、それに近い大和言葉と中国から伝来した漢字をマッチングさせていった人々の、モノゴトや情感を記録することへの情熱の方に、より心動かされます。当時の日本語の発音が実際どうだったのかは、知るよしもないですが。時空を超える共感は文字なくしては、残せなかった、だろうから。

花は散るもの、人はいつかは死んでしまうもの。少なくとも、この世からは無になってしまうことは、常態であって、新たな命も生まれる。桜の花が散ると、なぜか毎年若干ホッとしてしまう私もいるのです。桜が散ると、おっとりと枝から出てくる銀杏の新芽が可愛いと気づくし、既にアジサイも新芽を吹いている。もみじも青々と輝いている。

万葉集 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)