月曜日, 3月 23, 2009

今天的中国活 梅兰芳

梅兰芳 me2i la2n fa1ng

日本の漢字で書くと、梅蘭芳。


加藤徹 著 『梅蘭芳(メイランファン)世界を虜にした男』を読み終える。映画『花の生涯 梅蘭芳』を見る前に読んでおいたら面白いだろうと思って読んでみました。

いつの時代においても中国による正史に書かれていないこと、映画にはできない噂、合理的な諸説はある。暗部(アンタッチャブルな内容)も書かれていて面白かった。演劇は政治に利用されるし、規制されるし、梅蘭芳も人間としての品位と愛国心と、日、米、ソ連、列強のパワーバランスを計りながら、芸で観客を魅了していく、絶妙なバランス感覚で混沌の中を生き抜いていく。

梅蘭芳は男性で京劇の女形役者、中国では男役を演じる男性役者よりも社会的な地位は低かった。しかし、海外公演でも好評を得たらしい。東洋でも西洋でも女性の美や伝統的な装束や所作の方が、普遍的に評価されるという判断は面白いと思う。始終扇子で扇いでいる諸葛孔明は、ヨーロッパに持っていくと、『暑いんだったら、薄着になれば!(意味不明)』というような評価になるらしいし、項羽の赤い隈取りのメイクも正義(善人)の象徴とは受け入れられずに酔っ払いみたいみたいな印象を与えるからNGだということになったらしい。(そんなもんなんだろうなあ。)

何故、映画『花の生涯 梅蘭芳』が諸々の映画賞をとることができなかったのかは、よくわかんない。
私として、しっくりいかないのは、梅蘭芳はすばらしい人物なんだけれど、彼を評価しなかったのが、中国の政治や人々であったからかも。 その芸が現代につながっていないからかも。

中国の何かが、男が女を演じる価値や美を認めなかった。寛容性に欠けるだけじゃなくて、男が女を演じることに意義を認めなくて、それを残さなかったという事実・精神性が、かなり残念。生身の肉体というよりも、男によって表現される男が求める女のイデアとか形そのものが、芸であり美であり、性差を超えた共感ではないのかなあ、その点に関する言及がなくて、彼の卓越性がイマイチ伝わってこなくって、フラストを感じている私。
声が高いこと、高音域の声がすばらしいことが、チャイニーズオペラ(京劇)の技ではあるんだろうけれど。

梅蘭芳は写真で見る限り、玉三郎に似ている。上品な男前。人民服を着ていても上品なオーラが漂っている感じだ。中国の良心そのもののように見える。
明哲保身mi2ng zhe2 ba3o she1n   
犬死はいかんのだ。生きるなら、死ぬのなら、愛する誰かの人生のために。そういう意味では、巧みな人生。彼が文革の前に眠るように心臓病で亡くなってしまったのは、幸せなことだったのか、不幸せなことだったのか、よくわからないなあ。
中国4000年の歴史と言われながら、中国の歴史は、悠久ではなくて、不連続性の連続なのかもしれない。