土曜日, 2月 21, 2009

今天的中国话 触摸 及 心的交流

今日は飯塚トーストマスターズクラブの例会日でありました。

今日のJ(中国語読み)氏による Table Topic Sessionの御題も非常に面白かった。街中にあるスローガンの意味するものの解釈とか、英語のことわざの意味とか、そういう内容でした。

何語でも(多分)そうでしょうが、日本語のスローガンってのは、つまるところ何ですかぁ~?というものは多い。

(例)「ふれあい と 対話 で築く 明るい社会」

ふれあいとは何か?

本当に社会の不特定多数の人の肌と触れ合ってしまったら…、ちょっと問題。日本人は、さほどにハグハグもしないのに、ふれあいというコトバ好きな民族かも。
ふれあいとは、肌のふれあいでもないし、相手の体温を感じる距離という意味でもなく、ただ単に…、何なんでしょうね?

私の家の近くに市営の貸し農園「ふれあい農園」ってのはあるけれど、隣の区画の人とふれあうというよりも、土と作物とにふれあいたい、純粋な気持ちで人は貸し農園を借りるもの。農作物の成長は楽しいし、新鮮な野菜を食べたいんだと思うんだけれど。動物と触れ合える、ふれあい牧場ってのもある。某文化施設の名前に「あいれふ」というのがあるけれど、これは「ふれあい」を前後入れ替えたものでしょう。

♪袖ふれあうも多少の縁とぉお~♪は間違いであって、正しくは、あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふるby額田王(ぬかたのおおきみ♀)というか…。見ず知らずの赤の他人と袖触れ合いたくなんかないし、そんなシチュエーションはないです、滅多に。袖振り合うも他生の縁(と竹内まりあも歌っている)。好きな相手にだったら、何べんでも袖ふりますわねえ。こっそりぃ? 嫌いな相手も振る、袖にする、と言いますが、これはどういうことでしょうかねえ。

多少は、多いか少ないかは、銭か花。縁は太いか細いか、有るか無しか、ではないかと。(縁は多すぎるとものにできないかも。)偶然の皮膚感覚的ふれあいとご縁は無縁ではありません。それは非常に他生の縁(運命的出会い)、非常にディープインパクト。

一般的な「ふれあい」、これをあえて中国語にするなら、(心的)交流 (xi1n de) jia1o liu2 でしょうかねえ。文化交流なんかも含めて、ふれあい。

実際に触(さわ)って触れ合う、特に指先で触れるタイプの「ふれあい(?)、ふれる」は、触摸 chu4 mo1 かも。

タッチパネルとかのタッチに該当するのは触摸 chu4 mo1 のようです。
タッチパネルつき携帯電話でしたら、触摸手机 chu4 mo1 sho3u ji1 になるようです。 私はタッチパネル付きの電子辞書(触摸电子辞典)を猛烈に愛用しております。(手書き量が少ないので、中国語の語句の定着率が悪いのかも。)

ネット上に↓のような表現を見つけました。
父亲的触摸可抚慰新生儿 fu4 qi1n de chu4 mo1 ke3 fu3 we4i xi1n she1ng e2r
パパのスキンシップ(だっこ)が(も)ベイビーちゃんの心の安らぎになります、みたいな感じ。

抚慰fu3 we4i は、日本語の漢字に置き換えると撫慰ですね。なでなでによる癒しみたいな感じですね。