火曜日, 2月 10, 2009

今天的中国话 乾坤浩荡

加藤徹著 漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか? 光文社新書242を読み終えた。非常に面白くて、イッキ読みしてしまいました。


高校の授業に出てくる範囲において、漢文は好きでしたねえ私。専門家には全うな 異論もあるようですが、私は返り点とか一とか二とかの語順のガイダンスがあって、日本語の語順で読まれて、文字としては原文のままの漢文って、完璧に近い中国語~日本語への翻訳の形態だと思っていたし、古語的な響きとか、大和言葉にない簡潔さが好きでした。(日本語として読んだ段階で、大きな茫漠たる意味は限定されてはしまうこともあるのですが。)

漢文に親しめると知的な精神世界が広がるに違いないと思いつつ、手をつけてこなかった。自ら漢詩が書けると渋いなあと、私は、ただ単なるエエカッコしいになりたいだけかもしれませんが。漢詩に書けるような我が人生を歩みたい。(ただ単に絶句するような悲惨な人生???だったりして)

今日の中国語は乾坤浩荡 qia2n ku1n ha4o da4ng

漢文がベースになっていて、中国語でも日本語でもその意味は共通。共通に認識する人たちの間では認識できる(できたのでしょう)。

広大な天地(天地は広大だ)という意味。日本語では乾坤浩荡(蕩)を「ケンコウコウトウ」と読むらしい。

乾坤というのは、それぞれに地と天 あるいは 陰と陽 あるいは 女と男を指すようです。

乾坤浩荡というのは、神風に助けられた元寇の後、13世紀に明朝の光武帝から、日本が中国の臣下にならなけば、武力行使をするぞ!的な脅しのお手紙がきて、そのお返事として出された懐良親王(後醍醐天皇の皇子)による漢文の中に出てくる(らしい)。

惟(た)だ中華にのみ之(これ)主有りて、豈(あ)に夷狄(いてき=日本)には君無からんや。乾坤浩荡(蕩)、一主の独権するところに非(あら)ず…云々。

すばらしい。外交&国防には、相手の土俵の上で、知的に相手をビビラセルこと(相手よりも上をいくこと)が肝要みたいだ。この一文の筋が通っていて、その切れ味にビビッて日本に攻めて来なかったのか、わざわざ海を越えて来るのが大儀(麻烦)だっただけなのか、本当のところはわかりませんけれど。