土曜日, 9月 27, 2008

★overshooting love

35年以上(中途半端に細かいですが)、私の心の中に居座った第一印象が確信に変わる今日この頃。

35年間も第一印象を第一印象のままで放置していて、それを忘れないというのは、変わっているなあ、私。

直感のみで生きていて、検証をしないくせに、執拗に引きずるので、全く非生産的というか、時間を浪費してしまう。

♪今ぁのぉ~、私にぃ~、残っているのはぁ~、涙ぉぉ~、こらえてぇ~歌うことだけさぁ~♪

戦争を知らないこどもたち、じゃなくて、確実に敗戦という戦争を知ってしまうこどもたちへ。

『歌うことだけしかない』というのはある意味、当たっているような気がする。

目の前にいる女の子達を近い将来の絶望から救う歌を作った男達の狡猾な愛と勇気。やがて戦争の、喪失の、本当の辛さを知ることになる少女達が生きていけるように、世間のそしりがないような歌える歌を。

しかし、内容は軍等々を欺いてますわぁ。隠れキリシタン的。反戦ソング。(それが私の推論というか、想像の域を出ない勘ですねえ。)

この歌を公式に歌うのは、1960年代で終わりでも良かったんじゃないかと、何も私まで歌わなくても。

何かあるなぁ、おじちゃんの愛が重いわって、感じていた。ガンにかかってないのに抗がん剤を打たれちゃったような感じなのかもしれない。(不適切な例えかもですが。そのような経験はないので、あくまでも想像です。)

これから先、何があるかわかんないし、その時には…。私は歌う。今も時々歌っている。

歌は世につれ、世は歌につれ。歌が歌い継がれるには、文字の解釈の前に世の解釈がいる。どのような世だったのか、それは、今と何が同じで何が違っているのか。そして私達はどのような世を生きたいのか。

戦後50年以上にわたり歌わせてきたわけですし、やはり過去からさかのぼって説明をしなくてはいけない。それは、かなり知的で、かなり面白いプロセスでもあると思いますし。