久々に廃校寸前(のまま何年か続きそうな)某大学のキャンパスに行く。
Webの地図で場所を確認して番号を覚えて行ったものの、現地で掲示板の地図を見てみたら、番号が対応してないんですけどぉ~。(さすが昔からサービスの良い某大学。うっかりWebを信用したjijiちゃんの考えが甘いっちゃ。)
昔の購買部というか、本屋さんが、学生減少のために(?)、ただ単に本を読まない学生が増えたために(?)、経営が成り立たないのだろうか?セミナー室になっていた。(そこにポスターがはってありまして、そこが、会場でした。)
ポスターを印刷屋に作ってもらわなくても、内容で勝負なセミナーなのに。(3月末なので予算の消化が目的なのか。)
その近くで、石碑を土台ごと切り離して、どっかに持っていくべく、造園屋さんがドリルで掘り起こしていた。偉い先生の♪お墓のような~♪・♪灯篭のよぅな石碑ぃ~♪(千の風になってのメロディーが...。その先生は風になるよりも、石になることを選んだのかしらん?)
新しいキャンパスに大学の予算で持っていくのか、OBの方がお金を出し合って石碑を廃墟から救い出して、どこかの庭か大学に移設するのか?(個人の庭に移設でしたら、内心奥さんはキレると思うなあ。やめてぇ!みたいな。)
手間とお金がかかりそうな雰囲気で、そのお墓のような石碑がなくなってしまった跡は、より廃墟ですわ。
しかし、歴史あるもので、純粋に美しいと思えるのは、木々だけよね!と空に伸びる枝を眺めつつ、セミナー室に戻ると、しばらくしてレクチャー開始。
(木は美しいと思っていたので)、脳のホログラム構造(?)まったくホログラムの知識がなくて関連がわからなかったんですが、日本の場合は『き』ですね、の『き』を5分ぐらい『木』だと思って聞いていました。『気』についてお話をされていたのですが。 (虹色に輝く木目って凄いと思っていた。酸化チタンよりもいいかも。)
その間、私は木の『気』に支配されていて、悲しくなかったのだけれど。
伝統的な日本画=絵巻物には、中心がない(らしい)。
そう聞いた時は、それもそうだなあ、と思ったけれど、それは当たり前では?という気がしなくもない。巻物だもの。つぎつぎと見所のある箇所が出てこなければ、面白くないじゃない。(では、なぜ巻物?)住宅事情が悪いのに、四季があるから。スペースに対して、描きたい画材が次々と変化するから。巻物にしないと場所塞ぎだから。時系列的に連続しているから。(三次元だけど、四次元マイナス一次元(奥行き))
日本のものが全て好きなわけじゃない、恵比寿さん(えべっさん)等以外の神社、現人神系に行くと人間として成り下がるような気がする、生理的にNG。為政者とか官僚が神になっているものは、ひいてしまう、心の狭いエセ・クリスチャンの私。 特に左遷の神様は嫌だなあ。
jijiちゃんは、ヒエロニムス・ボッシュの悦楽の園という絵が大好きなんですが、この絵も中心がないと思うなあ。日本の屏風のような、ついたてぐらいの大きさだし。
私の日本的なメンタリティーにフィットしたのかなあ?
コンピューターグラフィックスのような三次元的な手描きに感動したのと、この世の放蕩の全てという感じが、私の感性にフィットているのではないかと思うのだけれど。
日本の元型というものは、よくわかりません。無意識が宇宙と共振しているのかどうかも???
(しているのかもしれませんね。)
アナタは日本人じゃないと言われても、う~ん、嫌われているかも私、と思うし。
アナタは典型的な日本人と言われても、意味がわからないなりに、それでいいのだろうか、って不安に思っちゃうだろうしね。
型にはめられるのはスキじゃない人は、日本人じゃないのかどうなのか。
ランダムでいるようで、それなりの法則性があるんでしょうね。多分。
私には100%合意も否定もできないけれど、 なかなか面白い無意識領域のお話だったのに、その先生のお名前等の案内が消えてなくなっていた。大学って、声高に宣伝になるもの、実務家さんに支配される世界に、どんどんなっちゃうのかなあ。
時々、私の感覚や私の無知なる常識とは異なる内容であっても、自由に研究に没頭できた幸せな時代を過ごして来られた先生(名誉教授さん)のお話をお聞きすると、私の脳は幸福、ある種の快楽に満たされる。(理解しているのかと問われると困るし、試験も嫌だし、レポートも書きたくないのですが。)
白でもなく、黒でもなく、グレーでもなく。
感覚的な確信に突き動かされるような感じは、快楽。中学・高校生の頃の気持ち。わからないものを、わからないものとして、心に留める快楽。