火曜日, 3月 18, 2008

★Tone of Touch and Noise of "Touchy"

昨日のシンポジウムは面白かった。もったいないぐらいに。

人の心根の美しさ。根底にある、本質的な、筋の通った危機感と愛を感じました。

しかし、感動とゲンナリの落差が大きかったなあ。

一部のプレゼンにゲンナリしたというよりもその根底にある人間的な意固地さ。無意識領域にあるのかしらん?inherentに卑しい見栄を感じる。

感性と合理性の命(ブレイクスルー)と死(脳死な閉塞感)を見せつけられてしまって、精神的な天国と煉獄を味わう。

デザインのバリエーション以前にできていないことがある。(優先順位付けがないですもんね。)
そのできていないことによって、不便を強いられる人達は、ほとんど日常的に利用しないモノに、あってもなくてもどうでもいいような小手先のデザインに金がかかっていることに不愉快を感じているんじゃないかな。(私は感じています。)

値段で工芸品の価値を表現するのは、審美眼がないってことだ。

私はオール小豆色の在来線が大好きな庶民です。

駅舎のデザインにおいて、プラットフォームを語らないことが経営のプロなのかしらねえ。
ダイヤモンドの価値には地域的な違いはないはずなんですが。

駅に特に、XXらしさ(地域らしさ)の常設展示(?)造形は考えなくてもいいと思う。それこそが、ユーザーの感性のベクトルが創造し、時と共に変化していくもの。そのための基本性能:特に、乗りやすい、降りやすい、乗りかえしやすい、を追求してちょ。

鉄道と飛行機(ジャンボジェット機)は違う。出張者用でも観光客用でもあるけれど、まず地域住民の足であることをお忘れなきように。

私の感性は、普遍的な合理性と人間としての情愛に飢えている。