日曜日, 11月 04, 2007

★infinite creativity by external coincidence

 私はスワロフスキーとか、ビーズでアクセサリーを作ることに(さぼどに)ハマラナカッタし、もともと、料理でも、手芸でも、テキストを見て、テキスト通りの材料で、配合で、手順で、作るのがスキではない。うっかり何らかのアレンジを加えてしまうか、手を抜くか、何か別のもので代用してしまうか、そのテキストからインスピレーションが湧いてきたら、何かを作るし、湧いてこなかったら何もしない。

 私が、行く前の期待に反して、混乱したりしがちな場所は、ビーズとかボタンとか、各種ジョイントパーツとかが色々売っていて、個々に選んで1個単位で買うことができるというタイプの手芸屋さん・ビーズ屋さんかもしれない。

その手のお店は大好きなんだけれど、一つ一つ選んで、色々な材料やパーツを大枚なお金を払って買ったのに、お家に帰ってから、何も作る気にならないということが多い。なんだか、選ぶべきパーツを間違えたような気がして、中途半端にお金をケチって、結局モノにならないような気になってしまったりして、材料を塩漬け(置いておく)なんてことも。

ゼロから創りたいもののスケッチをして、それに基づいて材料やパーツを買い、イメージにぴったり合った作品を作り上げたつもりが、結果、イマイチな組み合わせであることも、ある。

そこで何を言いたいかと言えば、ジャンクなものでもいいから、材料はMIXで混ぜ混ぜでも、多くの種類をガサっと用意するか、どうしても使いたい思い出の品なんかをコアにして、材料とかパーツが自ずから形や色の組み合わせを主張するような環境に自分自身をおいておくことが大事だなあ、と最近思う。

100%オリジナルな創造性なんてものは、まず、存在しないけれど、モノが発するオーラのようなものに導かれて、偶然の出合いにまかせて創作をした方が、自らの殻を破ることもできそう。

モノが私自身に語りかけてくる感じは、自己との対話のようでもあって、心療的なセラピーとしてもナカナカ面白いのではないかと思っている今日この頃。

作業療法を生業にしたいわけではないけど、無心になってハマってしまう感覚は、精神衛生上もよいですもんね。

しかし、小さいモノやパーツが色々ある状態はマニアックな創造性が湧き上がるんだけれど、人々(者々)がイッパイだと、萎縮したり、混乱したり、もめたりすることも、かなりありがち。

決断は独りで下すことも、時には、大切なのだ。創造性には集中力が必要で、そのためには孤独というか、独りの安息時間も必要なのよね。