日曜日, 4月 16, 2006

★A Collection of a Myriad Leaves & Prunes

本日は飯塚トーストマスターズクラブの例会に参加する。エバリュエーター(論評係り)なので、事前の準備もなくお気楽でした。Nさん、松島奈々子のクリアファイルを2枚も頂き、ありがとうございました。同居人に1枚あげました。Bさん、駐車場代を恵んで頂き、ありがとうございました。非常にあせったなあ、1週間で2回もお財布不携帯。

全て面白かった。

詩を朗読するというスピーチの課題において、特に柿本人麻呂の万葉集の英語訳の朗読が面白かった。

『か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の 置きてし来れば』
She who swayed to my side in sleep
Like sleek seaweed
Swaying to add fro with the waves
Whom I left there,
As mist and frost
Are left on the ground

玉藻(ワカメ?)のような髪ではなくて、高田真由子のダンナみたいなホワホワしたヘアースタイルで参加してしまい、ちょっと反省な私。なかなかエロティックな歌でございます。

『いや遠に 里は離りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思い萎えて 偲ふらむ 妹が門見む なびけこの山』

My village has receded
Farther and farther in the distance.
Higher and higher
Are the mountains I have crossed.
That might gaze on my wife's door
Where she in her longing
Wilts like the summer grass,
Mountains, bend down!

う~ん。スケールの大きい単身赴任(?)出稼ぎ(?)夫の妻への愛情というか、何というか。

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その後、某コーヒーショップにサライの4月20日号があったので、見ていると万葉集特集だった。太宰府(都府楼跡)とか二日市温泉も登場。
上の歌は@島根県(国見国府)なのね。

JIJIちゃん的な誤解というか、発見は、『あをによし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は 咲く花の 薫(にお)ふがごとく 今盛りなり』-小野老ってのは、奈良の都で詠んだ歌ではなくて、太宰府で詠まれたんだってこと。(思い出とか、想像だけで、頭の中でモノを作る方が良いものができる場合もあるのかもね。)

それから、大和三山の歌。『香具山は 畝傍ををしと 耳成と 相あらそひき...』-天智天皇てのは、香具山が♀なんだ。畝傍が♀だと勘違いしてましたね。自ら浮気をしておいて、なじんだ彼と喧嘩ってのは、少々まちがってますわ。(別にいいけど。)

一番好きなのは、田辺聖子セレクションの『恋ひ恋ひて 逢へる時だに 愛(うるは)しき 言(こと)尽くしてよ 長くと思はば』-大伴坂上郎女
何の理屈もありませんわねえ。超直情的な要求のみ。イイ。

万葉集じゃなくて、古事記のどこかに、前後は覚えていませんが、『襲ひの裾に月立ち出でぬ』という表現があったように思います。恋い恋いて、せっかく逢えたのに、もし、そうだったら、残念だわねえ。稗田阿礼(古事記@暗記係)って人間テープレコーダーというか、そんなことまで真顔で覚えたのかしらんと思うと少々気の毒。そんなん、別に、あえて後世に残す必要ないやん!面白いけど、とアホな私。

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アホと言えば、prune(プルーン)。
同サライのP70には、『徒然』庭仕事 第119回プルーンってのがある。(ドライのものも、フレッシュなものも、プルーンは大好き。)

先日のブログに書いたように、pruneって枝を切るという意味とアホって意味もあるんだけど、何故プルーンが①枝の剪定&②アホという意味なのかが良くわかる説明(事例)があった。

①実をたくさんつけるためには、枝の剪定が必要だから(?)。
②折れた曲がったような枝に、地面に付きそうな枝に、たくさんの実をつけるから。

ますます枝に負荷がかかってキツクない?と思えるような枝に危機感を感じて(?)たわわに実をつける。見た目には間が抜けていて、生き残りの為の戦略としては、種が地面に着地して根をはりやすいから、お利巧なんだけど、そこに人間がいれば、楽々と実を収穫されるだけっちゃ。

偶然とはいえ、色々楽しめました。気に入ったので、4月20日号は購入しちゃいましたです。モーツアルトのCDもついて、630円は御値打かな。