かなり行き詰ってしまい、某所でコーヒーを飲みつつ、講読していない西日本新聞をチラチラと読む。
水俣病の政治決着の問題が特集(連載)されていた。(ネット上にはないのよねえ、この手の記事は。)
金額を記憶していませんが、和解金が著しく少額だ。改めてオドロキというか、あの神経性マヒの悲惨さや、あまり症状が出なくても、後世への影響を心配して人生の多くの可能性をあきらめざるを得なかった人々の無念を思うと、憤りを感じる。
10年近く前に、化学薬品関連の検査をする外国の方と、化学品の安全検査の重要性と水銀中毒の被害の恐ろしさ(魚におけるbio-accumulation生体濃縮→人が魚を食べて発症)をご理解頂く為に、水俣に行き、『語り部さん』のお話を通訳したことがある。その男性の語り部さんは、当時は原因が不明だったから、遺伝の影響を心配されて、子供を作らなかったとおっしゃっていました。加害者であるチッソに経済的に依存していて、被雇用者で、水俣病にならなかった人も、水俣病にさいなまれた方も多かったから、ストレートに会社を訴えることが出来なかったし、特に患者さんが多かった漁業従事者は、魚が売れず、食うに困り、その魚を食べるしかなく、各被害者さん(+猫の?)利害が調整できず、患者さんにとっては、地域内での対立の多い、不利な交渉になったんだと思う。
通訳をしている間は、ある程度は、私自身は、マシーンなので、heartlessというか(心はアクティブにしない)のですが、通訳が終わってから、同行の原子力関係の学部をでて東京から同行した新人の国際協力系の職員さんが、よくやった、よく泣かずに通訳したといいながら、涙目になっていたのを記憶している。そんな悲惨なお話でしたね。
悲劇の本質は、水俣病として認定できることではなくて、認定できなかったことだと思う。何が理由で、悪魔に呪われたかのように人が死んでいくのかが、わからない恐怖にある。発症した人達だけでなくて、その人達が変わり逝く様、人格を失っていく様、苦しんで死んでいく様を、見て、自分達だけでなく、その子孫も同じようになるのではないか、と恐れる人々の恐怖そのものが被害。それを風土病として、原因不明として、封じようとした主体の全てに責任がある。
外国人の化学屋さん@公的部門の反応はといえば、呆然とされて、今日は魚を食べない。いままで(日本で)食べた魚は安全だったのだろうか?という、きわめて御身大切な利己的な反応でございました。
水俣病解決の長期化とか亡くなった患者さんの無念は、もしかしたら、まわりまわって日本の中央省庁というか象徴にまで、悪影響を及ぼしているのかもしれませんねえ。
企業トップや官僚さんに心はあるのかなあ? 2年毎に配置転換か転勤になるような多くの公務員さんに、責任を持って踏み込んだ利害調整へのコミットはできませんでしょう。配置や制度の問題も大きいのでしょう。
しかし、やはり、全ての官僚さんに熱い心があれば、今頃まで、水俣病患者さんの救済の多くの部分が先送りになることはなかったでありましょう。
森永砒素ミルク事件の決着って、どうだったのかしら。
水俣病の場合と違って、被害者と加害者が、すっきり分離できたから、有利に交渉ができたのだろうか。
弁護士が中坊公平だったから、良かったのかもしれませんね。
多くの人が狂ったように苦しみながら亡くなっていった水俣病患者さんにすら謝罪しない国や県や官僚さんという存在に、それなりに生きている私が、謝罪や説明責任を求められるとか、謝って欲しいなあと思うことすら、考え甘いかな。(私自身は公務員による謝罪ってのは、いまだかつて体験したことがないなあ。ちょっとしたゴメンねえ、も含めて。よくよく考えるとね。)
それにしても、西日本新聞の夕刊を購読している人はいるのでしょうか?石田依良の連載小説が読んでみたいので、多くの喫茶店や個人に聞いてみるものの、誰も朝刊しかとっていないようなのだ。(何がなんでも読みたいわけでもないんですが。)
こうなったら、朝夕刊日経から朝刊日経、夕刊西日本というコンビネーションにできないのかなあ?同じ代理店だしね。まあいいけどね。