水曜日, 2月 15, 2006

★Lady Godiva, Coventry and Wars & Religions

本日の太宰府トーストマスターズクラブの出席は、な、なんと8名(のみ)。忙しいシーズンでもあるし、怪我をした人、風邪をひいてダウンした人有り。

ボチボチ良くなってくださいね。

例会の内容は、ナカナカ面白かった。

★テーブルトピック・マスターは、急遽JIJIちゃんがやりました。

タイトルは、How to combat cold: before and after infection.

Yさんによる苺のヘタ(hulls of strawberres)を電子レンジで加熱して乾燥させ、手で揉んで細かくし、ハーブティーのようにお茶にして飲むと風邪に効くというテレビ番組からの情報が面白かった。根拠はイマイチわかりませんが、即生ゴミになるものが、お茶になるというのは、朗報ですね。もともと苺のヘタは無料ですもん、だめもとで、今度やってみようかと思います。

★フォーマルスピーチは、バレンタインデーに関してと太宰府市のゴミ処理について。軟派と硬派の話題で面白かったです。太宰府のゴミ処理は、全て太宰府市でやっているわけではなくて、焼却ゴミは春日市や大野城市でまとめて焼却してもらっているのですね。

★バレンタインデー関連の話題は、悲喜こもごもだからいいのだ。コンビニ・ネタ(すんごく可愛い女の子の店員さんがいるコンビニで、チョコを買う。レジ袋を断っておいて、お金を支払い、レジでチョコを置き忘れたフリをして、店の外に出る。それに気がついた可愛い女の子がチョコを持って店の外まで追いかけてくる。「ありがとう!」と言って受け取り、公衆の注目を浴びる。)は笑えました。

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バレンタインデーと言えば、高級チョコの走りと言えば、ベルギーのゴディバ(Godiva)なんですが、ゴディバが何ゆえベルギーのチョコなのか、というのは、ちょっと腑に落ちないのですよね~。なぜかって、Lady Godiva(英語では、ゴダイバと発音するようですが)は、イギリスのCoventoryの領主の奥さんだから。

JIJIちゃんは、短大は英文科ですが、英国の歴史に詳しいわけでは全くありません。たまたま、英国に居た時にホストファミリーさんが、Coventoryポリテクニックの院生さんで、学部生のゼミで「Democracy in Japan(日本の民主主義)」について語ってよ!と頼まれてしまい、Coventoryには行ったことがあります。

ちなみに、JIJIちゃんは当時短大(英文科)卒でございまして、ホストファミリーさんには、私は専門家じゃないし、日本は素晴しく民主的な国かどうかはわからないけれど~!?とお断りをしようとすると。いいの、いいの、ケンブリッジでもオックスフォードでもないし、たいしたことないから、ビックリするぐらいおとなしいから、ただ単に、テキストレベルの三権分立とか、二院制とか、選挙のタイミングとかの話でいいから、とのことだったので、レジメを作ってゼミで発表させて頂きました。嘘を言ってはいけないので、それなりに苦労しましたが。(本当に学生さんは無気力というか無表情であり、先生も知識はあるけど腑抜けた温厚な雰囲気でした。)

Coventoryは、ホストファミリーさんのご説明では、2つのことで有名なマチであります。

1つは、Lady Godivaのお話。Lady Godivaは非常に心優しい領主夫人で、苦しんでいる領民のために税金をまけてあげてはどうかと夫(領主)に御願いしたところ、お前が真っ裸で馬にのり、街中をねりあるいたら、税金をまけてやろうと言ったので、Lady Godivaはそうしたわけです。領民は心優しい夫人に感謝して、その間中、窓をしめて外を見ないようにしたのです。しかし、領民の中に不届き者のトムという男がいて、こっそり窓から興味津々のぞき見をしました。そんでもって、従者がトムの目を矢で射抜いたというお話もある。(peeping Tom)

2つ目は、簡単に言うと、Coventoryには大聖堂があって、第2次大戦中にドイツ軍の徹底的な爆撃にあったのですが、イギリス人兵士が瓦礫を十字架に組んでドイツ軍に抗議をしたという武勇伝で有名。

JIJIちゃんは、結婚式の引き出物にGodivaのピンクのハート型の陶器の入れ物に入ったチョコレートの詰め合わせを贈りました。別にLady Godivaのようになろうと思ったわけでもないのですが、何もバブルがピークアウトした時期(1990年)にバブルの最後の名残のような贈り物をばら撒きたいと思ったわけでもないのです。

何か、コマシなお菓子で思い出&逸話のあるものが贈りたかったということが理由です。(理由の説明なんてしませんでしたけど。)

Coventoryの大聖堂の話は、英国もドイツもキリスト教国であるので、ドイツへの抗議として成り立つ美談であります。

お互いの宗教を尊重しあうというのは、大事なことですが、自らの宗教への熱い想いとともに相手に抗議をすることは、有効でない場合がほとんどだと思う。

日本は、広島と長崎の双方に原爆が落とされたわけですが、多くのキリスト教会が焼け落ちた長崎よりも比較的宗教色の薄い広島の方が、宗教に中立的に核や戦争の悲劇を世界に訴えかけるという意味では、好都合なのかもしれないなあ~と私は思います。

幼稚園、中学、高校、短大とキリスト教的な教育を受けてきて、私がクリスチャンにならない理由のひとつは、日曜日に教会に行くなんてメンドクサイことはしたくないのと、グローバルに人と付き合う可能性において、自らの宗教的なスタンドポイントを持つ(表明する)事は、経験上、何の利点もないと信じるからであります。