水曜日, 12月 28, 2005

★abduction: antinomy or coexistence

The Economist 誌の Evolution The story of man(進化-人類の物語) Dec 20th 2005 をなんとなく読んだ。日本語にするにしても、人類、人間、ヒト、どれ?って感じはする。実はキリスト教徒の物語という側面もあるかな。 聖書に書いてあることをどう解釈するのかは個人の自由だ(と私は思う)けど、定説&刷り込みがあるんだろうしねえ。

私にはダーウィンの進化論に関して、深い知識は『な~い』。印象に残っているのは、高校の時に英語のリーダーのテキストに出てきた(と思う)survival of the fittest(適者生存)。

The Economist誌の文脈においては、goodwill and collaboration と ill-will and competitionの対立(?)において、survival of the fittest(適者生存)は後者の意味に近いような感じ。

Collaboration(協調)と Competition(競争)は、現実の人の世においては、共存しているというか、両方行なわれている。対立概念とは言えない。

JIJIちゃん的には、Collaboration(協調)と Competition(競争)はキレイに 分けられないと思っている。 Collaboration(協調)して、共通の敵と Competition(競争)するとか。必ずしもCollaboration(協調)がgood-willで Competition(競争)がill-willなわけでもない。どちらかと言えば、Collaboration(協調)がアンフェアで Competition(競争)がフェアって場合もあるじゃん。と段々、The Economist誌の記事の文脈からは外れていく。

ここで、JIJIちゃんin 2005年に欠けていたものを書いておこう。(それ以前からも)

人間界には、Collaboration(協調)も Competition(競争)も存在する。そうねえ、YKKにおいて、友情と打算が共存するらしいけど、それ以上に崇高なものとして存在する。

大事な事は、関与(involvement)するってこと、参画(stay)するってことかな。でないと、人間の生存の本質であるCollaboration(協調)も Competition(競争)も発生しないわけだから。

しかし、しかし、JIJIちゃんは、Evolutional Economics(進化経済学)ってのには、深い理解はございませんが、引いてしまった。これは、私なりに合理的。進化論も、それに反応するキリスト教文化圏の方々への理解もないけれど。(それだから尚更かな。)

種の進化って気の遠くなるような超々長期か天変地異とか気候の大幅な変動でおこるものだし、今生きている人間が提案したり予測できる経済の変動の枠を超えている変化じゃん。JIJIちゃんは直近プラス・マイナス100年+αぐらいの経済にしか興味がないので、進化のプロセスやメタファーで経済を考えるという気にはなりませんでした。そういうものに拘りたくなかった。

超々長期の生物の順化・進化のプロセスでは、survival of the fittest(適者生存)があったと思う。しかし、経済政策では、survival of the fittest(適者生存)の適用は、当然、良くないよ。生活保護も救貧も障害者の支援も歳末助け合いも必要だ。

引いてしまうことが多い2005年だったけれど、2006年の目標は、involvement&abduction。
Collaboration(協調)と Competition(競争)かは、その過程で決まることであるし、両方ともHowとHow much等々が大事だと思っている。

Humanity(人間らしさ&人間の性能)は、外的刺激によっては、ほとんど進化しないけれど、環境は、刺激そのものは、劇的に変わりゆく、増大する。 環境が人工的に制御されることによって、退化してしまった本能もある。

人は進化しない、限界がある、性能一定(&老化&退化)であることを前提に、全ては始まる。
フィギアの4回転ジャンプはあるかもしれないけど、5回転は人間業では有り得ない(できるようになったりして)。スケート靴にバネでも入れるか、滞空時間を長くする為の浮力でもつけない限りにおいては。