火曜日, 11月 29, 2005

∞Market mechanism for less-exclusiveness

本日(既に昨日)別の本を買いたくて蔦屋をウロウロしていたら、
「乱世を生きる-市場原理は嘘かもしれない」橋本治(2005年11月22日)集英社新書が目に入って買ってしまい、ざーっと読んでしまう。

橋本治って1948年生まれで、PCもワープロも使わないらしく、原稿を手書きするらしい。手書きなのにキーボードで書いたようなポップかつ口語体の文章が書けるのね、と感心したりしましたが、かなり支離滅裂な雰囲気でもある。でも、それが、現代の気分なんじゃないかな。
橋本治と編み物】JIJIちゃんにとっての橋本治は、広瀬なんとか先生(編み物の貴公子)じゃないんですが、編み物の先生“のようなもの”なんです。彼は浮世絵の模様のカーディガンとか編めるんです、というか、編んでいたんですよ。なかなか手が混んでいてアートに近くて凄いんですよ。JIJIちゃんは「橋本治の手トリ足トリ」という編み物の本を持ってますもん(実家にある)。これは、わざわざ面から製作せねばならない編み物というハイリスクな手芸をしたくないJIJIちゃんが、恋に落ちて、編み物をせねばならなくなった時の為のお守りのような本(これを観て編めば、毛糸屋さんのオバハンに習うなんてコッパズカシイことをしなくていいもんね、ホッ!)でして、結局は使わずに鑑賞するだけですみましたが、ワタシの精神的な安定にも寄与してくれました。

乱世を生きる…は、面白かったですね。全体を通して、一貫した大きなテーマとして完結しているか?の答えは、多分(ワタシが思う限りは)NO!なんですけどね。でも個々に鋭い感性を感じてしまう。でもね、経済の本ではない。帯にはビジネス書!って書いてあるけど、それは違うよ、無理があるよ、と思うな。

この本に書いてあるように、経済は利潤を得ること、とか、ただ循環すること、ってのは間違いではないんだけど。経済は市場だけで成り立ってるわけじゃないんだよね。政策というか、政策が機能しているってことが抜けている。一番大事なことは、利潤を何に使うか、どう分けるか、利潤が得られない人をどのように食べさせていくかなんですよね、とJIJIちゃんは思うのだ。

その点、エコノミストとかストラテジストとか、投資をしたり、投資指南をすることがお仕事のカタカナ職業人=経済の予想屋とは違い、財政学者は、より大所高所からズバっと本質を、統治の方法を論じてる。(分子レベルの欲望の反応を「エネルギー」として取り出す方法を)
市場から上がる利潤は、政府が取り上げて、分配することが可能だし、実際そうしているのだ。(その政府による資金の使いみちに無駄がないかどうかは別として。)市場経済がヒートすることは政府にとっては好都合なのだ。

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The market sector of the economy provides a convenient channel through which the taxing government can extract money.

経済の市場部門は課税をする政府が貨幣を吸い上げるのに便利な導管である。
(↑の日本語訳は大蔵省の官僚さんによるんだけれど、taxing governmentは課税統治という意味でもあるし、骨の折れる統治という意味でもあって、convenient(簡便な・便利な)と対を成しているのかも。)


Taxes can be attached to some market operation, being stated as percentage of sales, or purchases, of either goods or factors, or as so much per physical unit of the thing bought or sold. The particular form of statement employed fixes the pattern in which deprivation of resource use is spread over income groups, geographical groups, and other groups in the market sector. It is this deprivation that is the real sacrifice made by the private sector.   

-Carl S. Shoup(1969) "Public Finance" p6

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JIJIちゃんのお気に入りのフレーズです。
p6から引用しているということは、冒頭の部分しか読んでない!?ってことはバレバレでしょうけど。最後まで読んでませんです。

★課税をする政府が市場からマネーを搾り取る(extract)。
Carl S. Shoupは、そこまで意図したのかどうかは、よくわからないのですが、「課税によってby taxing, by taxation」、と書かずに「課税をするtaxing」と表現しているところが、的を得ていると思うのです。

膨大な財政赤字をかかえる今の政府には、マネーをextractしなければならないニーズがあるし、ウゾウムゾウが直接金融市場に参加して、株価が上がり、市場で利益を上げ、自動的に十一(トイチ)献金の如く、10%の税金を吸い上げられている現状は、税収の自然増を通じて、税率を上げて増税することの痛みを少しは緩和してくれるのではないか、と思ったりするのです。

市場参加者が損をしても、自己責任(彼らが勝手にやったこと、失敗しても勝手にコケテレバいいのだ)。公的資金の投入は不要なわけですから。政府にとっては、一般物価のインフレなき株価の上昇が一番好ましいかもしれません。キャピタル・ゲインを吸い上げて公的部門の借金を少しは減らす?(増やさない)ことが出来ますから。

10%の税率がフェアなのかどうかはわからない。
ネット証券が手数料を下げても、税率は10%で、下がることはない。
政府は市場から租税収入を得る。そして、年金や公的な金融セクターは、市場からキャピタルゲインを得ておこうとする。(こっちの方は非負制約がない。負けないという保証はない。キャピタル・ロス=公的部門が損をすることもある。)

さて「乱世を生きる-市場原理は嘘かもしれない」というタイトルにもどってみよう。

市場原理は嘘か誠か。

結論:完全に嘘です。うっそぴょーんです。

嘘を利用しつつ、最終的にそれを誠に変える知恵が、乱世という現実に抗する力でございましょう。