福岡ではFBS(福岡テレビ)が日本テレビ系列で、大阪のよみうりテレビ製作の番組も放送されることがある。本日の1時半から、『たかじんのそこまで言って委員会』をFBSで、たまたま20分ほど観た。面白かったわ。
JIJIは、関西にいた時は、関西弁+標準語も話せるし、典型的な関西人と思ったことはないのだけれど、九州で生活していると、関西の空気を、関西のテレビ番組を懐かしく思うことがある。
関西に帰省した時にハッピーなのは、テレビに出演している人を含めて、人々がoutspokenであること、私自身を含めて、そう(outspokenで)あってよい雰囲気があること、clever-cleverに(ガチガチに賢く)話さなくてもよい雰囲気があること。(いい加減なことばっかり言っていてはいけないんだろうけれども。)しかし、世界中で、個々の職場、個々の人間関係においては、どこだって色々あるんだろうけど。
自らの保身とか、立場をどがえしして、本音で時には自虐的に(自己を貶めながら)言いたいことや文句を言うお笑いじゃないけど、笑える番組があることは良いなあ。痛快エブリデー(関西テレビ、フジテレビ系列)の中の『モーレツ怒りの相談室』とか。企業や役所等に理不尽な扱いをされてクレームや調査を依頼する視聴者は、匿名で『怒り主(いかりぬし)』と呼ばれ、テレビ局が怒り主の鬱憤を晴らしてくれたり、謝罪を取り付けてくれたりするのだ。かなり正義派の番組だと思う。
話を『たかじんのそこまで言って委員会』にもどすと、ホリエモン(堀江貴文ライブドア社長)の『TVはなくなる』発言に対して、『TVは必要なのか』というテレビ局にしては、非常に痛いところを捨て身で敢えて自問するというスタンスが面白かった。
敵対的なM&Aとか、マネーゲームの方法論の是非、ホリエモンに対するニッポン放送社員の反感や不安を中心に、ライブドアをたたくフジテレビとは一味違うわね。
◇司会
やしきたかじん、辛坊治郎(読売テレビ解説委員)
◇パネラー
三宅久之、田嶋陽子、蟹瀬誠一(ジャーナリスト・明治大学教授)宮崎哲弥、橋下徹、桂ざこば、遙洋子、山口もえ
辛坊治郎アナウンサーは大学でメディア論の講義をしているらしく、昔はペーペーだと思っていたのに、出世しているみたいだ。インターネットの優位性についても、自虐的に適確な説明をしていたと思う。テレビ局は免許が必要で(被)規制業種だけれど、インターネットはもはやブロードバンドですし、個人でもどのような企業でも無免許でネット放送局は持てるわけだ。そういう意味ではテレビ局には脅威ですね。 しかし、無免許で簡単に発信できるということは、報道内容の倫理性に関する歯止め・規制、信頼性に関する一切の保証がないということでもあるだろう。情報の質・面白さ・完成度の高さという意味において、インターネットコンテンツだけで良いのかは疑問かもしれません。だから、ITビジネスはラジオ局・テレビ局 ・映画産業等の既存メディア産業に食指を伸ばしてくるのだろう。
橋下徹弁護士は、従来のTVセット(ハード)という意味でホリエモンはTVがなくなると言ったまでで、インターネットにより、ディスプレイでコンテンツは視聴されるわけですから、TV的なコンテンツが消滅するわけではないと発言していた。
ザコバビッチ(桂ざこば)は、テレビ番組は、複数のカメラで撮影した映像をスイッチャーが一方的に切り替えていて、つねにTVのフレームによって切り取られた映像を放送する。それ以外の興味を引く映像は放送されない。インターネットであれば、双方向アクセスによりユーザーがスイッチャーになることができ、視聴者が主体的に好きな映像パースペクティブを選ぶことができるのではと言う。
それに対して、辛坊治郎も遙洋子も懐疑的のようだ。JIJIも懐疑的かな。イチイチ自分で画面を切り替えるなんて、面倒だ。お仕着せのAではなく、自分自身で敢えてBを選ぶこと→(Bよりも面白いかもしれない)Aを捨て去ることでもある。ボーっと強制的に見せられているから、『期待してへんかったけど、結構面白いやん!新しい発見があったわ!』って思うこともよくあるからだ。 それと、野球は本来プレーを観るべきものであって、ベンチ裏は、基本的に見えないからファンの想像力をかきたてるようにも思える。(見たい見たいと思っていたものが、簡単に見えてしまうことは、ハッピーじゃないかも。そして、カメラに写しだされることで、その舞台裏も作り物になり、舞台裏の裏ができる。裏は見えないものなのだ。)
それと、同じテレビ番組を観て次の日に共通の話題で盛り上がることがないってのは、少々さみしいかも。(多チャンネルでメディアリッチであることも良いのかどうか。)
テレビ放送はなくなることはないと思う。今のところテレビにウイルス感染はないし、スパイウエアの混入もない。製作者=プロの押し付けもいいものだと思う。関西は特に時空間を共有する会話のやり取りが好きな土地柄なんじゃないだろうか?録画であっても、おしゃべりのライブ番組はなくなることはないだろうというような気がする。そういう面白い番組を作っていれば、視聴者は観るんじゃないだろうか?
テレビ・インターネット・ラジオ・新聞・チラシ・映画・電話・手紙・電車/バス広告、トイレットペーパーブック、雑誌・書籍・無料のティッシュ・看板・サンドイッチマン・映画のDVD・音楽CD・お寺の鐘、メディアは多様化する。
★多様性・多様化を口にするのは簡単だ。『私は多様性が大事だと思っているのですよ!』とか言いつつ、自己PRする人はいる。そういう風に語る自分は、偏見がなく良い人だ!と勘違いしてないかい?自己陶酔しているだけじゃないんかい?とJIJIは思うことがある。
個人の中に多様な役割を求めるという意味での多様性の要求は反感を買う。社会の多様性を支えているのは、個々人の専門性やコダワリだ。コダワリが無い方が使用者は使い易いかもしれないが、コダワリがなければ、良いものは生まれない。多様性という口あたりのよい表現のもとに、人がある種の専門家になろうとしていた意志を踏み倒して多技能化や方向転換を要求し、それが出来なければ敗者の烙印をおす。新しい借モノの主義を導入しつつ、古い価値を排除していく。たとえ二流でも専門に関しては、人は誰もが、ハイプライドなのだよ。愛(着)がある。
JIJIはblogが大好きだ。無料で創作物の展示ができるのはありがたいことだ。googleが勝手に検索して送りつけてくれるネット広告システム(このblogの最上部についているもの)も大好きだ。クルクル違うものを表示してくれるので、JIJIは、それらをクリックして、新しい情報を得るのが楽しいのだ。人が書いたものを読むことが特に。(インターネットは私の人生を楽しくしてくれていると思っている。)
論文ってのはどうなんだろう? (書けないのだから、とりあえずノーコメント。)
blogは論文に比して、しがらみもなく、個人メディアでお手軽なんですが、できるだけ嘘は書かないようにぐらいのプライドはある。
blogに文章を書くためにFBSのサイトに行ったら、そこで、九州ラーメン・ドットコム
http://www.ramenkyushu.com/というサイトを発見した。私のお気に入りの『大宰府八ちゃんラーメン』もランク・インしているし、ラーメンの制作過程が動画コンテンツになっている。いまさら、いまごろ何を言う?と思われるかもしれないが、HTML(Hyper Text Markup Language)によって、簡単にリンクがはれるというのは何と素晴らしいことだろう。
でも、私は、テレビも映画も好きであり続けるだろう。 両方とももはや私の一部=外部脳と
化しているので、もはや、それが本当に創造的で知的なことなのかはわからないが。
フジテレビ(ニッポン放送・ソフトバンクインベストメント) VS ライブドア に関して、同じフジテレビ系列の関西テレビの社員は、どう思っているのだろうか?
機会があれば、今度、直接聞いてみなくっちゃ、と思う。
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…本日のメインテーマは大きな犯罪がある度に耳にする「精神鑑定」…。鑑定の結果「精神喪失」と認められれば、その罪で罰することができません。これが所謂“刑法39条”で、その是非をめぐっては大きく議論が分かれていますが…、ここで皆さんにお伺いします。刑法39条は削除すべきだと思いますか?…でした。
★自分自身のことを自信をもって『精神喪失ではない』と言い切れる人がいるだろうか?
上記があると、どのような犯罪者も裁くことができない。よって、削除すべき。罰することよりも、重大犯罪に至るプロセス・原因を解明しようとすることと、はやり公表する必要があると思います。