数日前のことだが、歌の(誘われて参加してるノリの良いゴスペルなんですけど)レッスン会場に向かって歩いていたら、カジュアルっぽい服装だけど、なんとなく会社員さんかな?と思われる人々の群れと合流しちまった。
目的地の途中で、労働者の組合さんの会館があった。だからなのか。そこからはファンキーに歩く私。
みんなでメーデーの練習でもするのかなあ?なぜ会社員さんだと感じたのかなあ?ゆるい感じで、妙にまとまって、緊張感なさげな、従順で和やかな人間関係の匂いがしたからかも。
私の頭の中で、シューマンの流浪の民が鳴り続けた。みんなで流浪してしまうような気がした。
関西万博のオープニングの合唱は、ベートベンの第九ではなくて、シューマンの流浪の民だったら良かったのになあ。
聖歌何番だったっけ、覚えてないけれど、第九のメロディーで歌う、聖なる御神は天地(あめつち)創り、変わらぬ法(のり)もて、治めたまえり、ではない、大屋根リング、世界各国、内向きな、はったり交わし合う、やばい独裁だらけ。
現地で、リアルに歩いて、建築物として、見た目は、今この瞬間は素晴らしいと思うけれど、会期後のことや、収益や、耐久性を考えると、大丈夫なのか?と強く思ってしまう。